KOBECCO(月刊神戸っ子)2026年11月号
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〝海賊のDNA〟が脈々と受け継がれているのです」そんな三田の〝海賊の末裔〟たちが、日本の歴史にどんな影響を与えてきたのかが、小説の中で臨場感豊かに解き明かされていく。内陸から海へ理有の読み方は〝りう〟だが、周りからは〝リュウ〟と呼ばれている。龍鉄の血を継ぐリュウ(=龍)として、彼はその宿命に背を押されるように内陸の三田から海を目指す。それには理由があった。なぜなら、「三田藩の歴史を遡っていくと、三重県の鳥羽藩へと辿り着くからです」と話し、「山に囲まれた三田ですが、歴史を遡っていくと、実は海とつながっていることが分かります」と説明する声に力がこもった。三田と鳥羽序ノ章。こんな描写から物語は始まる。《志摩を根城とする九くき鬼水軍の九曜紋を掲げた船団のうち、艫ともに「龍」の字がある副そえほ帆を掲げた大船がそれだ。おれの名前龍りゅうてつ鉄からとった一字を旗印としたそれらの船には、五十人ちかい仲間が乗り込んでいる。おれが棟とうりょう梁として率いる船大工の一統だ》天正4(1576)年、織田信長率いる九鬼水軍と、毛利輝元率いる村上水軍が大坂湾で死闘を繰り広げ、大坂湾一帯を〝血の海〟に染めた、と伝わる「第一次木津川口の戦い」の一幕である。かつて三田藩は現在の三田市周辺を領有していた。藩の歴史を辿れば、関ケ原の戦いの後、有馬則頼が立藩するも一時廃藩となり、その後、九鬼水軍を率い〝海賊大名〟と呼ばれた九鬼 嘉隆の孫、久隆が寛永10年に志摩鳥羽から転入し、摂津三田藩初代藩主となる。小説の主人公は龍鉄の子孫、鹿かたけ岳理りう有。理有は三田藩城下の商家の次男として生まれた。「三田藩の起源は志摩鳥羽の九鬼水軍の〝海賊〟たち。つまり、理有をはじめ現在へとつながるその子孫である三田市民には代々海で育まれてきたOSK日本歌劇団の公演「姫君の賦」で初めてミュージカルの脚本に挑んだ22

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