今村 欣史書 ・ 六車明峰連載エッセイ/喫茶店の書斎から ◯ 非核 我が家からJR西宮駅までの道筋に「西宮市総合福祉センター」がある。 戦前には西宮高等女学校というのがあった場所だ。関西の才媛を集めた学校だったと聞く。作詞家の岩谷時子の出身校であり、歌人の与謝野晶子は、夫の与謝野鉄幹と共に訪れ、校歌の作詞者である。 現在の最寄り駅はJR西宮だが、2001年までは阪神西宮東口というのがあった。西宮の東の入口というわけだ。普通しか止まらない小さな駅だったが、西にしじょ女(西宮高等女学校)があったころは、西宮で最も賑やかな駅だったと聞く。 武庫郡役所があり、徴兵検査もここで行われたという。当時は通勤客や女学生で大いににぎわったそうだ。 西女は昭和20年8月6日の空襲で、バルコニーのある立派だった木造二階建て校舎が全焼。後、ここに再建されることはなく、市内の別の場所での復校となった。 その後この地はいくつかの変遷があって現在の福祉センターとなった。 この地にまつわる悲しいエピソードがある。拙著『コーヒーカップの耳』より。「コスモス」夜中にスコップかついで行くんや。サツマイモ掘りに。ほんで 袋いっぱいに詰めて持って帰って開けたら 骨が混じっとってなあ。女学校の跡やってな そこで空襲で焼け死んだ人を よおけ焼いたんや。そのあとにイモ植えてたんや。そやから骨がコロコロ混じっとってからに。気持ち悪いから骨は返しに行ったけど イモはみんなで食うたで。腹減ってたからなあ。その秋は きれいなコスモスがよおけ咲いてた。ええ肥料になったんやろなあ。 その福祉センターの前のサツキの植え込みに、隠れるようにして小さな碑がある。歩道に面しているのだが、歩く人はだれも気付かない。 高さ数十センチの小ぶりな碑だ。 「平和非核都市宣言」の碑。 福祉センターがオープンした1985年に設置されたと思われる。長年の風雨に耐えてきたせいか、文字がいささか読みづらくなっている。顔を近づけて読んでみた。ここには正確を期してネットで公表されているものより全文を引く。青い空、緑の大地、そして、おだやかな暮らしは、わたくしたち西宮市民のみならず、平和を愛するすべての人の願いです。12594
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