自らを語らぬ俳優《己れを語ることをほとんどせず、演ずることがすべてであった志村喬の死からやがて一二年。語らなかった志村喬の沈黙の世界をたどろうとする》生前から志村喬と親交の深かった作家、澤地久枝は、1994年に上梓した志村について書いた評伝『男ありて 志村喬の世界』(文芸春秋)の冒頭、こう綴っている。ここで澤地が明かしているように、長年、国民的俳優として活躍した志村だが、生前、積極的に自分について語ることはほとんどなかったといわれている。興味深いのは、志村の評伝を書いた澤地が、、当初は志村の妻である政子に夫である志村の評伝を書くことを強く勧めていたことだ。志村の妻となる山田政子は神戸で生まれ育った。実家は神戸の老舗の料亭だった。志村と同様、政子とも仲の良かった澤地が、何度も「志村についてあなたが書くべきだ」とその思いを伝えていることを生前、志村も知っていて彼自身もそれを望んでいたという。澤地が手掛けたこの評伝は、今、志村の人生について知ることができる数少ない貴重な一冊だ。それだけに、澤地がこの評伝を書こうと決意するまでの覚悟について、政子との会話のなかで、こう打ち明けている。《巡礼として四国八十八カ所を夫人とともに歩き、満願成就のあと、もう一度執筆をすすめ、書く意志はないとはっきり言われたころから、なにかがわたしの心にきざした。「本当に書かないの?」「書かない」「それじゃ、わたしが書かせてもらっていい?」「志村はきっと喜ぶわ」》この政子の言葉で澤地の迷いは吹っ切れた。〝志村喬の世界〟について、自分が責任をもって書こう。彼女はそう決意した。運命の出会い志村の妻、山田政子は、志村とお見合いをした当時は、神戸市須磨区で暮らしており、実家から神戸市の百貨店「神戸大丸」の計算部に通勤していた。この評伝には、志村と政子が交際していたときの手紙のやりとりが詳しく綴られている。志村夫妻と澤地との信頼関係の証だろう。二人が澤地に託した往復書簡から、志村と政子の謙虚な人間性が垣間見えてくる。たとえば、交際時の二人の〝生神戸偉人伝外伝 ~知られざる偉業~後編志村喬演技に捧げた人生……生涯の伴侶は神戸の女性40
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