KOBECCO(月刊神戸っ子)2026年10月号
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このような僕の態度を無責任だと思う人がいるかもしれませんが、筆を置いた時点で僕の作品は完結しているのです。だから作品を取り巻く他の要素の影響はあったとしても、僕はそこまで責任は取れません。ある意味で、作品の完成と同時に、作品は作者の元を離れて自由にひとり歩きをします。作品の解放です。僕とこのような関係で結ばれている学芸員は、展覧会の企画の段階から自由に発想しているはずです。それを作家が横からワーワー言って事細かく注文をしたり、指示してごらん。学芸員はちっとも面白くないでしょう。でも横尾忠則現代美術館(以下、横尾美術館)の学芸員が、もし他の美術館に移ってそこでキュレーションをすることになった場合、恐らく、横尾美術館のような自由な行動は許されないと思います。ある意味で横尾美術館は何でもありです。もし、僕が自らのコンセプトによって展覧会を組織するようなことがあったら、従来の学芸員は、たちまち困惑すだから僕のような寛容な(笑)作家は、世界中探しても一人もいないと思いますよ。個展でなくても、グループ展の展示作業にまで立ち会って、如何に自作を他者より優位に主張させようとする作家の方が多いことか。というか、それが当然かもしれません。僕は、そんな面倒くさいことには興味がないのです。僕の主張したいことはキャンバスの内部に全て表現しているので、その作品が如何なる場所に展示されてもキャンバスの内部に描かれた絵は不変です。他の何ものの影響も受けないので、如何なる作品と並置されて展示されようが、僕の知ったことではないと思っています。ないと思います。会場のインスタレーションから、ちょっとした作品の位置まで、事細かく学芸員に指示することが多く、学芸員は作家の意志に全て従うことになります。《突発性難聴になった日》2019年 横尾忠則現代美術館蔵16

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