KOBECCO(月刊神戸っ子)2026年9月号
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今村 欣史書 ・ 六車明峰連載エッセイ/喫茶店の書斎から ◯  触読 「触しょくどく読」という言葉をそれまで知らなかった。 神戸の点字図書館を訪れた時に対応してくださった職員さんの口から出た言葉である。 なぜわたしが点字図書館を訪れたか?詩人、島田陽子さんの「点字」という詩に触発されたのだ。文字を読むというのは/こんなにも優しく 真摯な行為だったろうか/私の書いた点字を/あなたの指が 一字一字たどりながら/しかし 素早く読みとってゆくとき/私は 愛されている錯覚にとらわれた/焼きものの肌に/花びらに/髪に くちびるに/ふれる指は あたたかい/ふれる指は 繊細だ/あなたの指にふれられて/はじめて命を得る文字は/その小さな隆起がつぶれるまで/幾人のあなたと出合うのか(後略) この詩にわたしは感動を受け、点字本を身近で見てみたくなった。もっといえば触ってみたくなった。 幸い、拙著『コーヒーカップの耳』(朝日新聞出版刊)が点字本になって神戸市立点字図書館に架蔵されている。電話で事情を話すと快く応じてくださり、さっそく出かけた。 出してくださった点字本『コーヒーカップの耳』。 真っ白な紙である。絵もない。あまりにも清潔。そこに小さな隆起が並んでいる。わずかな影を添えて。 自分が書いた本がこうして姿を変えているのを手にした時、静かな感動を覚えた。 初めてその隆起にそおっと触れてみる。 なんとなく一字一字がわかる。もちろん読めるわけではなく、凸の位置関係が思いのほか指先に伝わるということだ。 ふと、紙は真っ白でなくてもいいのではないか?という思いが頭をよぎった。視覚障害者にとっては黒でも赤でも同じことなのでは?と。もちろん、白である必要性はあるのだが。 しかしやはり白は象徴的だ。純白の中に点という光と影だけが並んでいるのが深い抽象画のようで美しい、とわたしは思う。 全て点字文字はカナだ。特殊な漢字点字はあるそうだが、基本的には一音ずつのカナである。ということはページ数が増える。原書の二倍から三倍のボリュームになるらしい。たしかに目の前の『コーヒーカップの耳』もずっしりと大きな本に生まれ変わっている。 お尋ねしてみた。12484

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