着に気づいて、パッ!と一瞬のうちにこのスタイルを捨ててしまうのです。そして、次のスタイルに移るのです。執着を捨てなければ、次のスタイルに移れません。ピカソは執着と放棄の繰り返しによって、次々とめくるめく多様な変化を続けたのです。飽きるというのは、そういうことです。子どもはすぐに飽きて、次のことに移ります。これは、子どもと大人の時間感覚が違うのです。子どもは短時間に、大人の時間の何倍も、何十倍もの時間の中に自分のやりたい目的を凝縮します。だから、達成感が早いのです。大人はぐずぐずして、考え過ぎるので、時間がすきまだらけですが、子どもの時間はビッシリ凝縮しているので、物事の達成が早いのです。だから、次から次へと目移りがして、別のことをやり続けます。つまり変化を求めるのです。そんなわけで、子どもはどんどん飽きるのです。ピカソの多様性は、子どものマネをしているのです。だから、次々飽きて、次々変ている間は、絶対に悟ることはできません。ところが、執着して執着して執着にガンジガラメになった時、「俺はもう悟るのは辞めた!そんな馬鹿馬鹿しいことに、俺はなんで時間をつぶしていたんだ!ああ、アホらしい!」と思ったその瞬間が、実は悟りの瞬間だったのです。執着に飽きた瞬間です。飽きるということは、このようなことです。ピカソは、同じような作品を連続的に描きます。この連続性が執着です。その時ピカソは、「俺は一体何をやっているんだ、同じことばかりやってるではないか!」と、自分のスタイルへの執あなたは何に執着していますか?」なんて、執着の意味も知らずに、流行語になりかけたことがありました。物事に熱中した結果、執着の寸前まで行った時に執着を手放す。執着の反対が飽きるです。そこまでやって初めて、「飽きる」効果が生まれるのです。執着は地獄ですが、「飽きる」は天国への道と考えていいでしょう。ある意味で、「飽きる」は悟りでもあるのです。悟りは一瞬では得られません。とことん修行した結果、ある時、悟るのです。修行中は、悟りたいということに執着しているのです。執着し『飽きる美学』実業之日本社1,980円(税込)好奇心も意欲も、変な欲望もなく、ぼんやりと日向ぼっこをするような生き方こそ老齢の贅沢な生き方ではないだろうか。まるで人生にも飽きたような生き方である。(本文より)16
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