KOBECCO(月刊神戸っ子)2026年9月号
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の地を治めてきた。本丸の四隅に艮うしとら・巽・坤・乾の三層の隅櫓が建てられたが、北東隅の艮櫓と西北隅の乾櫓および土塀は明治期に解体され現存しない。実は明石城には天守台は設けられたが、その後、天守が築かれることはなかった。いわば主役不在の城といえるが、逆に櫓があまりに立派な建物だったため、天守はいらないという結論に至ったのかもしれない。巽櫓は本丸の南東端に築かれた三重櫓で、船上城の櫓を移したものと伝えられる。大きさは、桁行五間(9・03m)梁間四間(7・88m)高さ七間一寸(12・53m)240トン、各階の高さは3m弱。一方の坤櫓は伏見城から移築されたと伝わる城内で最大規模の三重櫓で、桁行六間(10・94m)梁間五間(9・15m)高さ美しきかな ひょうごの文化財 21「明石城跡」は江戸時代初期に築城された平山城跡で、石垣、堀、曲輪配置など城郭遺構が良好に残り、平成16年(2004)には城跡(明石公園の一部)が国の史跡に指定された。その明石城跡の象徴が「巽櫓」と「坤櫓」であり、日本に12基しか現存していない三重櫓のうちのふたつで、昭和32年(1957)に国の重要文化財に指定されている。白亜に煌めく、姉妹のような2つの櫓の美しい佇まいが目を惹く。明石城は元和5年(1619)に初代明石藩主小笠原忠政(後の忠真)によって築かれ、京・大坂の西に近接する山陽道沿いにあたり、南は明石海峡に面する水陸交通の要衝に立地することから、西国諸藩の見張りとしての役割を担った。そのため、譜代・親藩大名が代々こ明石城 巽 櫓明石城 坤 櫓たつみひつじさるやぐらやぐら白亜に煌めく、姉妹のような2つの櫓重要文化財12

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