上島 私が神戸青年会議所に入れていただいたのは26歳のとき、日本経済は高度成長期、1969年の缶コーヒー発売開始に向けて社業に励んでいた頃で、4年ほどは青年会議所の活動はほとんど何もできず、本腰を入れたのは30歳を過ぎたころからでしょうか、30代半ばで日本青年会議所へ出向させていただき、いろいろな方と知り合う機会を頂きました。神戸青年会議所では人の温かさを直に感じることができました。日本青年会議所では、その規模の大きさゆえの運営の難しさがあります。ローカルな組織と全国的な組織との違いや、それぞれの長所を自分の目で見て、感じて、たくさんの勉強をさせていただきました。松井 私も日本青年会議所に出向させていただきましたが、組織の規模感の違いには大きなものがあると思いました。神戸青年会議所と日本青年会議所で学んだこと地域課題を解決する神戸青年会議所と、日本全体の課題を見ながら世界に相対する日本青年会議所とは向き合っているものの大きさが全く違います。行ってみて初めてマクロとミクロ両方の視点があることを知りました。熱量が高いメンバーが全国各地から集まってくるのですから、正直ちょっと腰が引けて、ドキドキ(笑)。実際行ってみて、怖いかなと思っていたメンバーたちも仲間であり、同じ思いで活動をしていることが分かりました。上島 私が青年会議所で活動していた頃は、外食元年といわれた1970年、大阪万博が開催され弊社も納品させていただきました。非常に好調で、そこで気をよくして、「ポートピア,81」出展に一番に手を挙げさせていただきました。後から知るのですが、それがポートピア,81の総監督をされていた阪急の小林公平さんの印象に残っておられたようで、1987年のタカラヅカの海外の演目「ME AND MY 5月に神戸で開催された日本青年会議所2026年度国家グループ全国大会運営会議31
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