KOBECCO(月刊神戸っ子)2026年8月号
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神戸で始めたアパート経営第二次世界大戦下、ラバウルの戦場で片腕を失った水木しげるは復員後、東京の美術学校に通って画家を目指すが、生活費は底をつく。同じく食い詰めた仲間の画家と二人で資金集めの募金旅行に出る。二人は東京の生活をたたんで西へと向かった。旅の途中、偶然、泊まった神戸の宿で水木はアパート経営を勧められる。彼の自伝『ほんまにオレはアホやろか』(講談社文庫)にこう記されている。《神戸は空くうしゅう襲にやられていたので住宅難だったから、アパート経営がいいというわけだ。一番はじめにあらわれた客が、運命のいたずらであろうか、紙かみしばい芝居画家であった》親に借りた資金を元手に神戸・兵庫区水木通の物件を購入し、始めたアパート経営が彼の人生を変える。部屋を貸した紙芝居画家の伝手で水木は紙芝居画家として生計を立てようと決意。指導を仰ぐために、後に師匠となる紙芝居界の重鎮、鈴木勝丸の自宅を訪ねると…。《「じつは、水木さん」「いや、私、武むら良というんですが」ぼくの本名は、武むらしげる良茂というのだ。境さかいみなと港のあたりにだけあるめずらしい姓せいである。しかし、先生の方は少しも意に介かいさず、水木さんと呼ぶ。水木通りに住んでいるので水木さんということらしい》このとき実は勝丸も東京で食い詰め、妻の実家のある神戸で暮らしていたのだ。神戸で勝丸と出会ったことで武良茂は「水木しげる」と名乗って漫画家人生を歩むことになる。まるで〝漫画〟のような実話である。妖怪と歩む人生この世には本当に妖怪がいる―そう信じた漫画家と作家が、偶然か必然か、神戸から輩出されている。《ぼくは小さなころから、妖ようかい怪っていうのは、本当にいるのではないかと、両親や先生に質問し、そのおろかさを笑われたことがあった。ぼくはその妖怪で、いまはめしを食っているわけだ……》『ほんまにオレはアホやろか』の冒頭、彼はこう語っている。同じく、妖怪の存在を信じ、作家となって『怪談』を遺したのが作家の小泉八雲だ。時代も職業も違うが、ふたりは日本各地で語り伝えられ神戸偉人伝外伝 ~知られざる偉業~後編水木しげる神戸からの逆転人生…何度でも蘇る鬼太郎118

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