としてきた湖月だが、「これまで経験したことのない独創的なレッスンでした」と振り返る。最初は戸惑ったというが、「感情を込めながら踊ることで、次第にダンスが立体的に浮かび上がっていく。かつてない新鮮な発見や手応えを掴むことができました」と“益井の意図”が理解でき納得した。記念公演が決まったとき。すぐに益井の顔が浮かび、迷いなく指導を依頼した。公演前に渡英し、益井に会う理由はもう一つ。「今回、私は振付も担当するんです」。益井から得たインスピレーションを生かし、“プレーイング・マネジャー”としてステージに臨む。憧れのステージに立ち続け埼玉県で生まれ、幼いころから宝塚歌劇の世界に親しんで育った。その理由は、「昔から母が宝塚の大ファン。一緒にテレビを見て宝塚の魅力に惹かれていきました」と話す。初めて観客席から観た舞台は『ジャワの踊り子』。間近で颯爽と歌い踊るタカラジェンヌの姿に圧倒された。このとき、「将来、私も必ずこの舞台に立つ…」と心に誓った。小学5年生だった。このときの決意は固く難関の宝塚音楽学校に入学。しなやかな長身を生かした卓越したダンスの技術と伸びやかな歌声で、誰もがその実力を認める男役として数々の舞台を飾った。そして2003年、星組トップスターに就任。このとき相手役を務めたのは現在、女優として活躍する檀れいだった。トップスター時代に抱いていた思いを聞くと、こんな答えが返ってきた。「後輩たちには自分から声をかけたり、励ましたり。誰もが自分が演じたい役を演じられるわけではありません。でも、舞台では、どんな役にも光が当たっている。観客の人たちは見ている。それを伝えたかった」トップスターだけが頂点から眺めることのできる華やかな景色がある…。観客の多くはそう考えるかもしれない。だが、湖月の言葉から、その光景をみんなで見るために、トップスターは舞台の影で想像を絶する重圧を背負っていることを知る。昨年、『マイ フレンド ジキル』で共演し、今回、東京公演のゲストとして出演する宝塚歌劇団の後輩、柚希礼音が湖月についてこんな話をしている。「(湖月)わたるさんは、いつも誰よりも早く稽古場に来て、練習後は最後まで一人で残って復習をしている。その姿は宝塚時代から今も、まったく変わりません」と。宝塚の矜持退団後、湖月にとって『カラミティ・ジェーン』と同じく強く心に残る舞台がある。退団から2年後に主演を務めたミュージカル『愛と青春の宝塚』(2008年初演、2011年再演)だ。第二次世界大戦下のころの宝塚歌劇団の物語。娯楽が抑圧され、公演が中止された21
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