KOBECCO(月刊神戸っ子)2026年7月号
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少々話がズレてしまったかと思うのですが、「答え合わせ」って一体なんですか?答えなどはあるのですか?僕はこの世に答えなどないと思っています。1たす1は2ですか?3ではダメでしょうか?芸術は、1たす1を10とか100にしたっていいのです。芸術に答えなどありません。僕のしていることは、物事の本質や状態を明らかにするために調べたり、よく考えたりする、そんな考察など必要ありません。僕は全く興味がありません。ことでしょうか。人は人、俺は俺では生きていけない。そんな時代なんですかね。俺なんかは、人と同じであることがかえって不安だった、そんな若い時代をふと思い出しました。20代の若い頃、僕はグラフィックデザインを職業としていました。デザインという職業は、一口に言ってしまえば個の探求です。他者と差別化することで自分が存在する。誰かに似ることへの恐れから、他者と差別化することが創造の探求でもありました。そんな習慣が板についてしまっていたので、他者と区別される孤独が、大げさに言うと生きがいであったように思います。ああ、そうですか?今の世の中、WEBでは、小説の読者や映画の鑑賞者が、小説や映画の内容を詳しく調べあげて、それっぽい筋道を立てた「考察」が流行しているのですか?僕は『考察する若者たち』(三宅香帆著)の存在は知りませんでしたが、自分が感じたことが間違っていないかとか、答え合わせをしたいとか、あらゆるところで考察が求められている。そんな現象が起こっているのですか?自分と他人の間に溝があることへの不安、他人と同じ考えを共有したい、自分独自の考え方、生き方が不安というTadanori Yokoo美術家横尾 忠則撮影:横浪 修神戸で始まって 神戸で終る 〝答え合わせ〟って、一体なんですか?14

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