《しかし、ぼくは南方ボケとでもいおうか、万ばんじ事に鷹おうよう揚になっていて、世の中が明るく見えてしかたがない。そこへもってきて、やや変人の気味のある父が、「しげるは前から横おうちゃくもの着者で、両手をつかうところでも片手でやってきたから、今さら片手になってもこまらんじゃろう」などとオカシなことをいう。ぼくも、ついのんきになってしまうのだ》漫画と同様、水木の文章は独創的で次第に〝水木ワールド〟に魅了され引き込まれていく。人生ドン底の悲劇さえ笑い飛ばし、喜劇に変えてしまう。戦争で片手を失っても好きな絵を描き続け、世界が認める漫画家となった水木の生き様は「今が地獄」と思っても決してあきらめるなと鼓舞してくれる。人生は理不尽で辛いことばかりだが、悲観するな。何とかなる…と。そして神戸で彼の人生は大きく変わる。=続く。 (戸津井康之)港市で過ごす。地元の高等小学校を卒業した後、画家を目指して、大阪で働きながら絵画の勉強をしていたところへ召集令状が届く。第二次世界大戦が激化する1943年、ニューギニア戦線へ。彼が向かったのは最激戦地のひとつ、ラバウルだった。鳥取の連隊で新兵教育を受けているときのこと。人事係の曹長からこう声をかけられた。《「あ、お前な、南と北とどっちが好きや」変なことをきく。「はっ、南であります。自分は生まれつき寒いのが大きらいでありまして……」「ごちゃごちゃいわんでええ。南が好きなんやは、南が」》なぜ、水木がラバウルへ着任することになったのか。その理由を、自伝『ほんまにオレはアホやろか』(講談社文庫)のなかで本人はこう解釈し、明かしている。《翌日、上等兵が呼びに来た。「何ですか」「南方の第一線に行かされるらしいぞ」「えっ」南洋のラバウル行きとなったのだ。南の島へはつくまでに沈しずめられる。うまくついたとしても、玉ぎょくさい砕という全ぜんめつし滅死。いずれにしても、海のもくずと消えても惜おしくない兵隊としてぼくが選ばれたのらしい》と。水木が赴いたガダルカナルでは、彼がここで語っているように日本軍はほぼ全滅。生還できた日本兵は少なかった。ラバウルに到着した当時の様子を水木はこう記している。《ぼくたちの後の船団も、その後の後の船団も全部沈没させられたのだ。そして、それ以後、ラバウルに船団が派はけん遣されることはなかった。つまり、ぼくたちは、ラバウルに派遣された最後の兵隊だったのである》こうして奇跡的に辿り着いた過酷な戦場で、水木は敵の爆撃を受けて、左手を失う。そして終戦。水木は復員船となった駆逐艦『雪風』に乗り南洋の地から日本へと命からがら帰還する。左手を失った息子を前に将来を案じる母。119
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