有馬温泉歴史人物帖子勝久を奉じ因幡=鳥取で毛利方を攻めますが、ここも本連載其の参拾参の小早川隆景らに敗れちゃう。すると織田と毛利が断交!敵の敵は味方とばかりに鹿介は織田方の毛利攻めの大将、有馬大好き秀吉に従属することに。秀吉も尼子の毛利に対する怨念を利用し、黒田官兵衛の活躍で攻め落とした最前線基地、上月城に勝久と鹿介を入城させます。ここで腰を据えて毛利と戦うぞ!と思った矢先、三木の別所長治が織田を裏切り、有馬も深く関わる三木合戦が勃発!織田方は信長の命により別所攻撃を優先させることとなり、秀吉は悔しさの中で上月城を諦めざるを得ず、鹿介は毛利方に捕らえられ護送途中に誅殺されてしまいました。ちなみに三代目玉田玉秀斎の講談本『立たつかわ川文庫』では、上月城から死にかけの状態で救出された鹿介は有馬で湯治して命をとりとめた、という話になっていますが、講談師の 戦国の世に豪傑数多かれど、特にカッコイイのは山中鹿介幸盛でございますな。本連載其の弐拾参の頼山陽が「虎狼の世界に麒麟を見る」と評したことから「山陰の麒麟児」との異名をとってございます。 鹿介は若くして尼子氏の重臣、山中家の家督を継ぎますが、1565年に尼子の本拠地、現在の島根県安来市の月がっさんとだ山富田城を毛利に攻められ落城…出雲に逃れ城の奪還を目指すもこれも阻まれて毛利方に幽閉されちゃいます。でも逃亡し、尼子氏再興の誓いを胸に京都へ向かいますが、その道すがら有馬で戦傷を癒やしたそうでございます。このネタ元は創作が多いとされる『甫ほあん庵太閤記』ですが、その筆者の小瀬甫庵は富田城に近い松江城を築いた堀尾吉晴の臣下。鹿介の地元でヒアリングしたみたいですから、有馬来湯はたぶん事実なのでございましょう。 そして京都で体制を整え、尼言うこととAIの回答は真に受けちゃダメですよ。 さて、鹿介の息子、山中幸元は現在の伊丹市、鴻池村の大叔父に引き取られ、ここで酒を醸し清酒を開発。その八男の直文は大坂に出て分家し、上方落語によく出てくる豪商、鴻池家の初代となったそうなんですね。で、幸元の次男、秀成の孫の山中道億は名高い表千家の茶人で、彼が所有していた茶器を伝説の蒔絵師、永田友治が完コピして有馬の宿、角の坊の亮菅という人物に贈ったという記録がございます。 また、幸元の長男の清直は現在の宝塚市、小浜宿へ移り分家。こちらの小浜山中家も最初は酒造業でしたが、4代目から代々医者となって医院は昭和まで続いたとか。そんな鴻池村と小浜宿を結ぶ道こそ、鹿介が浴した名湯へと七難八苦を乗り越え続く有馬街道なのでございます。~其の四拾~山やまなか中 鹿しかのすけ介 1545?~1578※資料により「鹿之介」「鹿之助」などの表記がありますが、本稿では「鹿介」に統一しています109
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