KOBECCO(月刊神戸っ子)2026年6月号
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似た、何人かの画家によって連鎖的に描き加えていく形式があります。この場合は、最初の人が人間の頭を描きます。最初に描いた部分を隠して、次の画家が胴を描きます。このようにして、何人かの画家が尻取り形式によって描き、最後の画家が足を描いて完結。最後に、隠されていた部分を外して、全体像を見ます。何人かの画家の手によって、1人の人物画が完成します。これは一種の連歌の変形だと思います。今回の僕の展覧会の一点一点の絵は、このような連歌形式によって描いた絵なので、「連歌」ではなくて「連画」と名付けました。説明が長く読みます。連歌とは、何人かの同席した人によって歌をつなげていく、尻取りのようなゲーム感覚に近い、長句(五七五)と短句(七七)を逐次に読み続けていく形式の、変化を尊ぶ一種の文学です。この連歌を僕は自分ひとりでやってみようと考えました。先ず最初に1枚の絵を描きます。その絵を素材に次の絵を描きます。自分で描いた最初の1枚からインスピレーションを触発されて、2枚目を描きます。さらに、その絵が3枚目の絵を、という具合に4枚、5枚とどんどん増やしていきます。シュルレアリズムにも、これに昨年、東京の世田谷美術館で開催したシリーズ『連画の河』を、神戸で公開しています。今月は、初公開の際に本誌に寄せた「『連画の河』について思ったこと、考えたこと」を再びお伝えしたいと思います。東京でご覧になった方も、東京と神戸の間に流れる時間を改めて体験して、東京展と神戸展がどう変わったかを改めて感じてくだされば、それもまたもうひとつの時間体験になるのではないでしょうか。先ず、展覧会のタイトル「連画」というのは、実は「連歌」から発想したものです。「連歌」と書いて「れんが」とTadanori Yokoo美術家横尾 忠則撮影:横浪 修神戸で始まって 神戸で終る 『連画の河』展 ~横尾忠則現代美術館~16

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