KOBECCO(月刊神戸っ子)2026年6月号
118/124

言葉のエール今から30年前の1996年2月12日、作家、司馬遼太郎は大阪市内の病院で72歳で亡くなる。その約一年前。司馬は、神戸へ向けて、こんな一文を遺している。タイトルは、その名も「世界にただ一つの神戸」。《神戸に、自立した市民を感じた。世界の他の都市なら、パニックにおちいっても当然なのに、神戸の市民はそうではなかった》司馬が死去する一年前の1995年1月17日。阪神・淡路大震災が発生したのだ。彼は、大阪でこの大地震に見舞われた。震災後、司馬はすぐに本書(「月刊神戸っ子」=1995年2・3月号)に被災者たちを励ます文章を寄稿している。それが、この「世界にただ一つの神戸」だ。《当方は大阪にいて、連日、神戸の惨禍の報道に漬かっていて、自分が被災者でないことが申しわけないという気持ちでいた…》こんな出だしで始まる寄稿には、神戸の被災者たちのために、司馬は居ても立ってもいられずペンを執った様子が伺える。《神戸。あの美しくて、歩いているだけで気分のよかった神戸が、こんどはいっそう美しく回復する上で、この精神は基本財産として役立つに相違ない》被災した〝神戸っ子たち〟を、言葉の力で何とか励ましたいという思いに満ちている。震災から6年後の2001年。神戸出身の作家、陳舜臣を始め、小松左京や藤本義一ら、関西の作家たちが寄せた文章を集めた『作家たちの大震災 阪神・淡路大震災一九九五・一・一七』(「月刊 神戸っ子」刊)のなかに、この司馬の寄稿文も収録されている。神戸での邂逅この書のなかには、司馬と神戸とのかかわりを知ることができる、こんな興味深い一文も収録されている。タイトルは「市民の尊厳」(1995年1月30日、産経新聞朝刊「風塵抄」掲載)。《十年ほど前、神戸を知りたいと思い、陳舜臣さんに頼んで、じつに気分のいい集いにまじることができた。いまも終生の思い出になっている》 ここで登場する陳舜臣と司馬は、ともに大阪外国語学校(現在の大阪大学外国語学部)で学んだ。陳が司馬の一年先輩だが、二人の親交は卒業後も続いていた。お互いに作家となってからも…。神戸偉人伝外伝 ~知られざる偉業~後編司馬遼太郎被災者たちへの〝ラブレター〟…神戸へのラストメッセージ118

元のページ  ../index.html#118

このブックを見る