KOBECCO(月刊神戸っ子)2026年5月号
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社会派ミステリー、純文学、時事評論…。近作を並べてみて、改めて創作の幅広さに驚く『マークスの山』で警部補として登場した合田は、『マキノ』では警察組織と大都会・東京を去り、人里離れた湖畔で静かに第二の人生を迎えていた…。 「警察を離れた合田が雑音の多い東京に居続ける理由はなく、絶対に合田は天下りなどしませんからね」と髙村さんは笑みを浮かべ、創作の背景について説明してくれた。合田の人生を指針とする読者が数多くいることを〝生みの親〟は強く自覚している。合田は髙村さんの分身でもあるのだ。文学は読む人の心を豊かにし、拠り所となったり、鼓舞したり、人生をも変える。それが小説の魅力であるが、今、日本語の言葉としての力が失われ、文学が危機を迎えている。髙村さんは「今世紀で文学はなくなるかもしれない」と言う。現実に活字離れは深刻化し、書籍の売れ行きは落ち、全国で書店が次々と閉店している。神戸の思い出「神戸は幼いころから私にとって庭のような場所です」そう語る髙村さんは大阪市出身だが、「父は和歌山、母は芦屋の生まれ。幼いころは毎週日曜日、家族で神戸の六甲山や摩耶山へ遊びに行っていました。帰りは三宮の百貨店などで食事をして」と振り返る。これまで全国の都市が小説のなかで描かれてきたが、神戸はまだ舞台になったことがないが…。「とくに理由はないのですが、あまりに〝近過ぎて〟書けない」と神戸への親近感を込めながら、その理由を明かした。1995年1月17日、大阪・北摂の自宅で就寝中、阪神・淡路大震災に見舞われた。そのときの心情が『作家たちの大震災』(「月刊 神戸っ子」刊行)のなかでこう綴られている。《物を書くという行為はわたくしの場合、物を考えるという行為と等しいので、これからはこれまで以上に、いやでも物を書きつつ考えていくしかない》同年2月24日、毎日新聞夕刊へのこの寄稿から31年が過ぎた今も〝物を書くこと〟で文学の可能性を模索し続ける髙村さんの覚悟は変わらない。現在の生活スケジュールを聞くと、「午前4時に起床。近くの乗馬クラブへ通って4時間ほど馬の世話をします。帰りに買い物をして昼食後、夕方まで執筆。さらに夕食後、深夜までが24

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