KOBECCO(月刊神戸っ子)2026年5月号
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挑むハードルは常に高く…新作は言葉で紡ぐ〝音の世界〟文・戸津井 康之  新作の小説や映画に新譜…。これら創作物が、漫然とこの世に生まれることはない。いずれも創作者たちが大切に温め蓄えてきたアイデアや知識を駆使し、紡ぎ出された想像力の結晶だ。「新たな物語が始まる瞬間を見てみたい」。そんな好奇心の赴くままに創作秘話を聞きにゆこう。 第66回は社会派ミステリー『マークスの山』(1993年)で直木賞を受賞し、昨年、作家デビュー35年の節目を迎えた髙村薫さんの登場です。作家生活36年目に入った今も変わらず健筆をふるう髙村さんに連載中の小説の構想などを聞いた。THESTORYBEGINS-vol.66■作家■髙村薫さん⊘ 物語が始まる ⊘枠にはまらない創作スタイルデビュー以来、一貫して「同じものを書くつもりはない」と言ってきた。この言葉通り、『レディ・ジョーカー』や『冷血』などの重厚な社会派ミステリーから、『晴子情歌』や『土の記』などの純文学まで。新作ごとにジャンルもテーマも文体までも、がらりと変えながら幅広い創作に挑んできた。36年の間、常に新たなそれも過去作を超えようと設定した高いハードルを自らに課してきたが、この決意は揺るがない。昨年、上梓した2作の小説を見ても、その覚悟が伺える。昨年3月に刊行された『墳墓記』(新潮社)は古文と現代文を自在に操りながら、純文学の新たな形態に挑んだ長編の意欲作。 片や昨年5月に文庫化された『我らが少女A』(毎日文庫)は、『マークスの山』で初登場以来、〝髙村ミステリー〟を語るうえで欠かせない〝重要人物〟の一人、合田雄一郎が久々に登場する社会派長編ミステリーだ。『墳墓記』の主人公は、能楽師の家系に生まれるが、選んだ仕事は法廷の速記者。冒頭、《男は自分がかたちもない意識だけのガスになっているらしいことを知る》と、その〝正体〟が明かされる。古希を過ぎ、仮死状態となった元速記者の頭のなかでこれまでの人生の記憶の断片が言葉=それは音として、とめどなく脳裏に甦る。紫式部の『源氏物語』、藤原定家の和歌、『平家物語』など20

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