有馬温泉歴史人物帖学を学んで前途洋々!だったけど父の篤蔵が急逝して中退…。帰郷して家業を落ち着かせてから志願して陸軍へ入隊し、日露戦争では戦地で負傷するも活躍して中尉に。復員後は推されて県議会議員となり、農民の処遇改善や県内各地の治水事業でも手腕を発揮したのでした。 でもそれだけじゃなく、有馬鉄道の社長となって1915年に三田~有馬間を開業させ、篤蔵父ちゃんの悲願を叶えます。この路線は間もなく国有化され国鉄有馬線となりますが、戦時中に不急不要路線として廃線、いまはもうありません。そしてワンモア、神戸と有馬を結ぶべく、家業の銀行の財産を投げ打って六甲越えの難工事に挑み、1928年に現在の神鉄有馬線湊川~有馬温泉間を開業させます。みなさんが電車で快適に有馬を訪ねることができるのも、延吉さんのおかげなんですよ。 ところで、現在ちょうどその城 日本ほど多くの人々が温泉へ列車でやって来る国もございませんな。「〇〇温泉」という駅はJR・私鉄あわせてなんと56もあるのでございますよ。もちろん天下の名湯ゆえ有馬温泉にも神戸電鉄の有馬温泉駅がございまして、2024年度は約63万5千人も利用しています。そのすべてが温泉客ではないでしょうけれど、2024年の有馬の年間観光入込客が約137万人ですから鉄道が湯の街の賑わいを支えていることは間違いございません。 で、有馬に2度もレールを引き込んだ人物がございます。その人の名は山脇延吉と申しまして、生家は有馬にほど近い神戸市北区の道場の地主で、農家で醸造家で米や肥料も商い銀行まで経営していた名家でございました。幼い頃から頭脳明晰、兵庫県尋常中学から当時ばけばけ八雲が英語教師を務めていた熊本の第五高等学校へ進学、さらに最高学府の東京帝国大学で土木工趾が破壊されていますが、延吉さんの故郷には蒲たんぽぽ公英城というお城がございました。これを築いた赤松氏範は、本連載其の十伍でご紹介の通り有馬でたんぽぽの花を詠んだ赤松則そくゆう祐の弟です。でも三木合戦で城主の松原義富が反信長の別所方についたため、有馬大好き秀吉軍に攻め落とされたのでございました。かわいらしい名前のお城ですがたんぽぽは英語でdandelion、その語源は「ライオンの歯」ですから軍事要塞にふさわしいネーミングだったりもします。 獅子の歯牙の如く鋭く社会課題に斬り込んでいった延吉さんは、頼まれれば健筆を振るいさらさらと達磨の絵を描いたとか。その脇に認められた雅号「城山」は、この蒲公英城に由来するそうでございます。~其の参拾七~山やまわき脇延のぶきち吉 1875~194197
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