都合なため、「アインシュタインは間違っている」などといって攻撃される対象となっています。かわいそうなアインシュタイン。しかし、「光速度不変」はアインシュタインが提唱したわけではなく、彼が特殊相対性理論を発表した段階ですでに観測事実として広く知られていたのです。光速度不変に関するもっとも有名な実験は、マイケルソン・モーリーの実験です。これは、アルバート=マイケルソンとエドワード=モーリーによって一八八七年に行われた、光の速度の変化を測定する実験で、もともとはエーテルの存在を証明するためのものでした。エーテルとはなにか。当時、光は波であることが知られていました。波には、それを伝搬する媒質が必要です。たとえば水面の波の媒質は水です。音の媒質は空気です。では、光の媒質は?当時の物理学者はこれを「エーテル」と名づけ、たとえ宇宙空間がなにもない真空に見えようとも、実はエーテルで満たされているのだ、と考えました。このエーテルの中を光別の状態です。身近な例では、牛乳がそうです。アインシュタインは一九二一年にノーベル物理学賞を受賞しますが、その受賞対象が、このうちの二つの論文、光電効果とブラウン運動の研究なのです。面白いことに、アインシュタインは、彼の業績の中でもっとも輝かしく、またこの連載の主役である相対性理論では、ノーベル賞を受賞していないのです。なぜそのようなことになったのかは、この連載で追い追い説明していきます。この、スイス特許庁の三級技術職員が、仕事の合間に研究し、わずか二六歳で発表した偉大な理論、特殊相対性理論から、この連載は始めていきましょう。巷でよく誤解されていることのひとつに、「光の速度が不変で、いかなる物体もそれを超えられないと言ったのはアインシュタインだ」というものがあります。これはたとえば「宇宙人が地球にやってきている」とかいう陰謀論者や、どうしてもSFのように宇宙を旅したい人には不者の道を開いたからです。一八九六年、アインシュタインは連邦工科大学に入学し、一九九〇年に卒業しました。しかし大学の教員にはなれず、臨時教員や家庭教師などをして暮らしていました。一九〇一年にスイス国籍を取得し、翌一九〇二年にスイス特許庁に就職し、アインシュタインに転機が訪れました。この仕事は自由時間が多く、彼はここで物理学の研究を進めることができたのです。一九〇五年は、「奇跡の年」と呼ばれます。この年アインシュタインは、四つの論文を発表します。それは、光電効果、ブラウン運動、特殊相対性理論、そして特殊相対性理論の帰結としての質量とエネルギーの等価性です。光電効果とは、物質が光を吸収してそれが電流に変わる現象で、つまり太陽光発電の原理です。そう言えばいかに偉大な論文かわかるでしょう。ブラウン運動とは、コロイドの運動のことです。コロイドとは、気体や液体の中に、別の微粒子が分散した状態で存在している状態のことで、「溶けている」とはまた31
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