KOBECCO(月刊神戸っ子)2026年3月号
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とvol.3知美に続き、数々のポスターや装飾パネル画を描き、それまでの常識を覆す作品が話題を呼び、次々と注文が舞い込むようになる。こうして、19世紀末から20世紀初頭にかけてヨーロッパで生まれた新しい芸術〝アール・ヌーヴォー〟を代表する画家の一人として、一躍時代の寵児となった。しかし1910年、自身のルーツであるスラブ民族とその文化を守るために残りの人生を捧げる決意を固め、50歳で故郷チェコへ拠点を移した。それまで描いてきたミューズとは一線を画し、スラブ民族の歴史を描いた20点の大作からなる『スラブ叙事詩』を、1910ウィーンに出て舞台装置工房に勤め始めた。パトロンを得てミュンヘンで美術を学び、その後、パリのアカデミー・ジュリアンに入学したものの、貧しい生活が続いていた。そんなミュシャに大きな転機が訪れたのは1894年。大女優のサラ・ベルナールからポスターの製作依頼を急きょ受けることになった。一作目の『ジスモンダ』波打つようなラインで構成される繊細、かつ力強い画風で女性の心を魅了するアルフォンス・ミュシャ。女性像〝ミューズ〟と花をモチーフにした数多くの作品を残し、今なおファッションや化粧品のデザイン画として広く愛されている。幼いころから卓越した才能を持ちながら、故郷チェコでは認められることはなく、ミュシャははじめてのミュシャ―変わりゆくミューズへの〝まなざし〟《ジスモンダ》 1894年 OGATAコレクション12

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