KOBECCO(月刊神戸っ子)2026年3月号
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た。孫文が独特の文化を築き上げた日本に、大きな期待をかけていたことも講演から伺い知れる。《陳 文化というものを二つに分け、仁義道徳に基づく精神的なものを王道の文化、武力や技術に基づく物質的なものを覇道の文化といい、東洋のは王道の文化、西洋のは覇道の文化といい切るわけです。安井 日本は、もともと王道の文化を備えていたところに、明治以来覇道の文化をうまく吸収して今日の強盛を築き上げた、と》当時の神戸新聞にこうある。《『亜細亜民族の本領とする正義と人道によって東亜民族は団結し西洋の圧迫に堪へなければならぬ』と結び講演を終わる》日中やアジア地域が連携する〝大アジア〟が西欧へ影響を与え、世界を変えていく―。孫文は神戸から世界に向け、こんな力強いメッセージを発信したのだった。この日の講演から102年目を迎えた今年。孫文の言葉は現代人にどう響くだろうか。=続く。 (戸津井康之)理由のひとつは、当時、神戸には日本国内では最も多い数の華僑が暮らしていた。神戸に移住した華僑の人たちは、孫文が成そうとしていた壮大な革命を様々な形で支援していたのだ。広州起義から17年…。孫文が指揮した辛亥革命(1911~1912年)によって、古代より続いていた中国の君主制は廃止され、共和制国家、中華民国が生まれた。アジア地域において史上初となる共和制国家の誕生だった。革命軍によって清朝は制圧され、1912年1月1日、中国・南京において、孫文が初代臨時大総統に就任し、中華民国臨時政府を樹立する。これによって同年2月12日、宣統帝、愛新覚羅溥儀が退位し、清朝は滅亡するのだ。悲劇の〝最後の皇帝=ラストエンペラー〟となる溥儀と日本との関係も実は深い。溥儀の末裔が、神戸で暮らし、西宮市の関西学院大学へ溥儀の歴史的な資料を寄贈するなど、孫文と同様、溥儀と兵庫県との縁が深いことも興味深い事実である。神戸から世界へ…世界史のなかで孫文と日本との深い関係を決定づけ、孫文が神戸で親しまれる大きなきっかけの一つとなったのが、1924年、当時の兵庫県立神戸高等女学校(現在の神戸高校)で孫文が行った講演だ。『孫文と神戸』のなかで、公演の様子が、陳氏、安井氏の対談ではこう説明されている。《陳 演題は「大亜細亜問題」となっていましたが、冒頭で孫文は、自分が話すことは「大アジア主義」についてであるといいますね》伝説となる孫文の「大アジア主義」をテーマにした講演が、遂に神戸で始まった。《陳 日本がアジアで最初に不平等条約の改正に成功したことと日露戦争で日本がロシアに「勝利」したことを非常に高く評価していますね、アジアの民族運動を鼓舞したと》   「大アジア主義」を説く孫文の講演が日本の神戸で開かれることには大きな理由、意義があっ107

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