のです。つまり、芸術家それ自体がAIなのです。だから巷のAI信奉者が「どうだ!」と突きつけるAI知識は、たいしたことがないのです。AIを信奉する芸術家がいたとしても、その芸術家がAI以上のAIであることを知らなければ、単にその芸術家はAIの虜でしかないのです。だけど、話を元に戻しますが、この「大辞苑」をAIだと思って見るのも面白いと思います。山本AIによる、一種の「横尾論」と考えれば、この「大辞苑」は、とても役に立つのです。辞書は考えたり、探したりのメンドーくさいことを全て代行してくれます。これからの時代は、努力する必要のない時代になっていくでしょう。全てAIが人に代わって努力してくれます。この「大辞苑」のカタログは、山本AIによって編集された書籍です。僕にとっては、この「大辞苑」が、僕のための予言者や占い師になってくれることを期待しています。僕のこのエッセイが、ややこしあるものと思っているはずですが、実際にこの霊性の世界は、ちゃんとした実在性を伴ったものなんです。ところがAIは、そこのところがわかっていません。AIは、対象のものの中からチョイスして、それを組み立てて、「どうだ!」と言うことで精一杯な世界とは、霊性の世界です。仮に、この二つの世界があると気づいた人でも、“実在”の世界では、知性と感性の世界しか知ることはできません。もうひとつの霊性的世界は、“非存在”の世界で、観念的であると同時に空想の世界です。霊性偏重主義者の頭の中にだけ三島由紀夫とR.ワーグナーの肖像 1983年 横尾忠則現代美術館蔵18
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