KOBECCO(月刊神戸っ子)2026年1月号
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かつて住吉にあった平生釟三郎の自宅大正5年の久原邸と久原橋岩井勝次郎邸住友御本家の住友本邸書院まな産業によりどんどん富を生みだしていく。そして幕府の財政が厳しくなってきた頃、この活況が江戸~長崎を往来していた長崎奉行の石いしがや谷清昌の目に留まり、1769年に天領となった。和の粋な文化とハイカラな洋の文化が融合明治維新を迎えてまもなく、わが国で2番目となる鉄道が大阪~神戸間に計画される。他の地域では敬遠されたこの事業だが、すでに先進的な事業で経済的センスが研ぎ澄まされていたのか、吉田家をはじめ住吉村の人たちは歓迎し、物流を加速させ地域を発展させると駅を誘致した。そして1874年に鉄道が開業すると大阪と住吉は1時間弱で結ばれるようになり、有馬温泉への中継点にもなって六甲を超える山駕籠が住吉駅前に並んだ。明治になって吉田家が水車を生かしたゴム工業をスタートさせたが、あたりは相変わらずの農村だった。ところが明治後期になってくると、駅を誘致した先見性が結実する。大阪へ1時間ほどで通える一方で、南向き斜面で陽光に恵まれて高燥、水も空気も清らかな環境が富裕層に注目され、反高林や観音林といった山林が邸宅街に変貌していく。その中で甲南学園といった子弟46

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