子。後にノンフィクション『栄光のバックホーム』(幻冬舎文庫)を刊行する著者である。中井はかつて高校球児だった松谷に、野球の知識を補ってもらうために取材での同行を依頼していた。慎太郎の父と同じく、松谷の父も元プロ野球選手。巨人にドラフト2位指名された投手だった。「僕は俳優を目指しながら、秋山監督の事務所で映画製作のスタッフとして働いていたんです。脚本の話を聞いて、僕が力になれるのなら何でもいいから手伝いたかった」2021年、中井とともに取材で鹿児島を訪れ、初めて慎太郎と出会う。年齢は一歳違い。甲子園を目指した元高校球児で同じ左投げ左打ちのサウスポー。「すぐに意気投合しました。でも当時はまさか僕が、慎太郎さん役を演じるなんて想像もしていませんでした」と振り返る。一年かけて2022年、脚本の初稿が完成した。主演候補には、何人もの有名俳優の名が挙がっていたという。何度も会って話をするうちに慎太郎と松谷は“夢を追う若者同士”互いに心を通わせるようになっていた。取材を続けるなかで、慎太郎は試合で使っていた愛用のグラブを松谷へ贈る。松谷は俳優として最初に着用した衣装を慎太郎へ贈った。二人は親友となっていた。「映画になるのなら、松谷さんに僕を演じてほしい」2022年8月、松谷が主演に抜擢される。“この願い”は慎太郎の遺言だったのだろうか…。翌2023年7月18日、慎太郎は還らぬ人となった。28歳だった。涙の試写会鈴木と松谷は完成した映画の試写をスタッフたちとともに東京の試写室で初めて観た。これまで数多くの映画やドラマに出演してきた鈴木が語った言葉を聞きながら心が揺さぶられた。「出演作を初めて観るときは客観的に観られないものなんです。自分の演技の反省点ばかりに目がいって。でもこの映画は違いました。ずっと泣きながら観ていました」隣で松谷が照れくさそうに「僕は泣くというよりも、ずっと嗚咽していました」と号泣しながら観たことを打ち明けた。すると鈴木は助け船を出すように、「だって試写室にいた関係者がみんな肩を震わせて泣いているんですから」と続けた。その表情は息子を気遣う優しい母の顔になっていた。日々成長「この映画に出演することは奇跡かもしれない。だから絶対に出ます」出演を決めた日のことを振り返りながら、しみじみと語る鈴木。松谷は慎太郎が亡くなった日。秋山監督の助監督として、別の作品の撮影現場に入っていたが、慎太郎が入院していた神戸のホスピスへ駆け付けた。秋山監督から「行ってこい」と送24
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