KOBECCO(月刊神戸っ子)2025年12月号
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のパートと、実在の馬琴の創作過程の〝実〟のパートを巧みに交錯させながら映像で描きあげていく。壮大な〝虚〟のパートを映像化する作業は「困難を極めた」と曽利監督は打ち明けた。「15年前なら不可能でした」とも。だが、「現在の進化した高度なCG技術を駆使すれば、この壮大な世界観も映像化できるはず」と確信し、構想15年を費やし、風太郎の『八犬伝』は昨年、令和の時代に蘇ったのだ。インタビューの最後に曽利監督が語った言葉をここで強調して書き記しておきたい。 「滝沢馬琴から山田風太郎へと受け継がれた創作への執念を、現代を生きる映画監督として映像で何としてでも描きたかった」母の死の悲しみを乗り越え、山田風太郎が遺した創作への執念、創作への燃え滾る魂…は、現代を生きる作家や映画監督たちの心へと確実に受け継がれている。=終わり。次は大谷光瑞。  (戸津井康之)小説家と画家」というタイトルで横尾氏がこんな一文を寄稿している。それは夫婦で山田家を訪ねたときのこと。《さて、ぼくが最初に目が止まったのは応接間の飾り棚の上にルーベンス、ブリューゲル、ダビンチ、聖書画集と並んで山口将吉郎、伊藤彦造、椛島勝一の挿絵画家の画集だった》画集に見入る横尾氏に、風太郎はこう話しかける。《「イヤー、ぼくは挿絵を見るのが大好きでね。挿絵の魅力から小説を読むようになったんです」》この言葉を聞いて、横尾氏はこう思った。《ぼくとまったく同じだ》と。そして、《江戸川乱歩(そういえば乱歩の山田さんから依頼されて書かれた原稿が壁に飾られていた)、南洋一郎を知ったのも挿絵に惹かれて読んだからで、山田さんとぼくの動機は同じだけれど、その運命の着地点は片や小説家、片や画家だ》と理解した。神戸出身の筒井氏、西脇出身の横尾氏、そして風太郎は但馬の生まれである。《共通の話題にぼくの緊張感は一気にほぐれた。しかもお互いに兵庫県出身だ。山一つ挟んだ町で子供時代を過ごしている…》と続く。映画界の重鎮、曽利文彦監督も風太郎を敬愛する一人だ。昨年、風太郎の人気小説が大作映画として蘇った。タイトルは「八犬伝」。メガホンを執ったのが、曽利監督だった。映画公開前、筆者は曽利監督を取材した。このとき彼が語った言葉が強く印象に残っている。曽利監督は『八犬伝』を読んだのは、「15年ほど前」と振り返り、「以来、ずっと映画化を構想していました」と明かしたからだ。南総里見八犬伝は滝沢馬琴が28年という長い年月をかけて書き上げた一大絵巻である。風太郎は、馬琴が創り上げたこの壮大な物語と、馬琴が生涯を捧げてこの長編を完成させた人生とを交差させながら、時空を超えたストーリーとして『八犬伝』を紡ぎあげた。曽利監督は、この空想の〝虚〟119

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