片が、市役所学事課から届いたのは私が数え年八歳の早春だった。》坂本さんは大正11(1922)年生まれ。八歳なら昭和の初めか。ちなみに西川さんは1923年生まれ。一歳違いなのだ。《当時は養護学校も特殊学校も、つまり心身障害児のための学校の受け入れ機関はゼロだったから、義務教育を免除してやると恩きせがましい口調で、実はそのまま放置されたのだ。》そこから父親が彼女の教育に力を注ぎ、立派な詩人になってゆく過程が綴られている。あの時代に女児の教育に力を尽くすこんな素晴らしい父親がいたのかと感動させられた。ほかにわたしの心に響いた言葉を上げよう。《バスは車体が高く、高い位置から街が見えるのが珍しく、…》これは初めてバスに乗った時の彼女の驚き。これも当たり前の、でも彼女には新鮮だったのだ。 《私の生活には足跡はないな、と思う。》仕事とか生き方とかを称して「人生の足そくせき跡」というような言い方を一般的にはするが、彼女がここでいう「足あしあと跡」は比喩ではなく、そのままの意味だ。《猫や犬にも足跡はあるし、鼠が走る足音もあるのに、わが足には跡はつかず、足音も立たず、まるで忍者のように生活空間を渡ってきたのだし、これからもそうするだろう。太いいのちの綱だけを頼っての仕事だ。》詩人として生きる覚悟のようなものが見える。そうか、西川さんはこのような詩人を師とされていたのか。それであのような人間味あふれる詩が書けたのか。わたしは知るのが遅すぎた。■今村欣史(いまむら・きんじ)一九四三年兵庫県生まれ。兵庫県現代詩協会会員。「半どんの会」会員。著書に『触媒のうた』―宮崎修二朗翁の文学史秘話―(神戸新聞総合出版センター)、『コーヒーカップの耳』(編集工房ノア)、『完本 コーヒーカップの耳』(朝日新聞出版)、随筆集『湯気の向こうから』(私家版)ほか。■六車明峰(むぐるま・めいほう)一九五五年香川県生まれ。名筆研究会・代表者。「半どんの会」会員。こうべ芸文会員。神戸新聞明石文化教室講師。(実寸タテ11㎝ × ヨコ16㎝)95
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