KOBECCO(月刊神戸っ子)2025年11月号
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今村 欣史書 ・ 六車明峰「百歳になりました」。お元気な声だった。これは昨年七月、拙著『湯気の向こうから』をお贈りした時にもらった電話である。そして「もう手紙が書けなくなってしまいましたので」と淋しいことをおっしゃった。七年前にこの欄に登場していただいた宍粟の詩人西川保市さんのことである。このほど久しぶりに西川さんの声を聞きたくなって電話をかけた。すると夫人が出られて「保市はこの春に亡くなりました。百一歳でした」と。わたしはしばし声を失った。迂闊だった。あれから一年以上経っている。西川さんと最初にお会いしたのは、もう30年ほども昔になるだろうか。加古川で催された詩の会に出席した時。しかしその時、どんな会話をしたかは覚えていない。多分挨拶程度だったのだろう。その後、西川さんの人間味あふれる詩に魅かれてお付き合いを続けていたのだが、ある時いただいた手紙に驚かされた。《岡山の詩の教室に通っていますが、そこで今村さんの詩集『コーヒーカップの耳』が教材になりました。》というもの。わたしの知らないところでわたしの詩集が教材にされていたなんて全く思いがけないことだった。その教室の講師が岡山の詩人、坂本明子さんだった。2001年に出したその詩集は多くの人に献呈し、ほほすべての方から返事をいただいていた。しかし、坂本さんからは何の反応もなく、わたしは無視されたものと思いこんでいた。評価されなかったのだと。まさかご自分の教室で教材にされていたとは。その坂本明子という詩人のこと、気になりながらも彼女の詩集を読む機会がなく今日まで来てしまった。今回、忘れていた宿題を果たす気持ちで『坂本明子詩集』を入手して読んでみた。その詩のことは置いておいて、彼女が重度の身体障がい者だったことを初めて知って驚いた。勉強不足が恥ずかしい。そこでもう一冊、エッセイ集を読んでみることにした。『車椅子のつぶやき 一〇八センチの視座』(1988年・あすなろ社刊)。坂本さんは生後11カ月で脊髄小児麻痺症に罹り、両下肢不自由の身になる。「生い立ちのこと」という項の冒頭にこんなこことが書かれている。《「就学ヲ免除ス」といういかめしい文句の紙連載エッセイ/喫茶店の書斎から ◯  車椅子の詩人11494

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