KOBECCO(月刊神戸っ子)2025年10月号
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伊川の上流部、緑が美しい山々に囲まれた天台宗の古刹。藤原鎌足の子の定恵和尚が開山し、孫の宇合が霊亀2年(716)に建立したと伝えられる。宇合の夢に現れた薬師如来を安置する七堂伽藍をはじめ、最盛期の南北朝時代には41もの小寺院(塔頭)に囲まれた大寺院として栄えた(現在は安養院など5ヶ坊)。ご本尊の薬師如来を安置する「本堂」は神戸市内唯一の国宝建造物。その規模は幅約21m、奥行き約18mに及ぶ圧巻の大きさ。鎌倉時代に仏教が大衆化したことで、より多くの民衆が仏像を拝むことができるように、仏像が安置される内陣と信者が集まる外陣を区切った新しい仏殿形式の初期の例であり、極めて重要な遺構となっている。貞享5年(1688)に再建された「阿弥陀堂」には重要文化財の「阿弥陀如来坐像」が祀られる。寄木造りの丈六仏は、立てば丈六(約4.8m)になるという想定で、坐像は半分の9尺(約2.7m)。定朝作の平等院鳳凰堂の阿弥陀如来坐像と同じサイズ・様式ゆえ、定朝の弟子の仏師が鎌倉初期に彫ったとされる。太山寺神戸市唯一の国宝建造物の本堂をはじめ、多くの文化財を有する里山の古刹たいさんじ❶創建時の建物は1285年の火災で焼失したが、1300年ごろに再建。朱塗り柱に格子に板を張った建具、蔀戸(しとみど)を設置。朱色と銅板葺きで緑がかった屋根との調和も美しい❷本堂内部。日本の寺社建築様式「和様」を基調としながら、一部には宋から伝わった「唐様」も採用 ❸柱の上部の肘木(ひじき)は、空間の左側は円の四分の一を描くように曲がっている唐様、右側は直線的な部分が残ってから曲る和様と、2人の大工棟梁が力を合わせて造った様を見て取れるじょうえあみだにょらいざぞうたっちゅううまかいじょうちょう❶❶❷❷❸❸本堂(国宝)52

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