熊野信仰が流行したのは末法思想が世に轟いた鎌倉時代だが、同時期に太子信仰も盛んだった。善福寺所有の「木造聖徳太子立像」もその時代のもので、胎内の墨書銘から仏師、湛幸の作であることが判明している。湛幸についてはその名や業績から運慶の長男湛慶の孫という見解もある一方、運慶の四男康勝の孫という文書も存在し、その出自はよくわからないが、運慶から数えて四世代目の慶派を代表する仏師であったこと木造聖徳太子立像(国指定重要文化財)は作風や技術からも確かなようだ。聖徳太子2歳の姿とされるこの像は、あどけなさや愛らしさの中にも、その目線や姿勢に凛々しさを感じさせる。寄木造で玉眼を施し、全国にいくつか残る太子二歳像の中でも出色の出来であるとともに、銘記に木造聖徳太子立像 国指定重要文化財 善福寺伝来 Photo : Kobe City Museum / DNPartcom39
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