KOBECCO(月刊神戸っ子)2025年10月号
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そして本展の第1章では、死と再生の象徴である髑髏に加えて、僕自身の寓意に着目し、絵画を通して、僕の死生観を辿るという展示構成になっています。さらに、第2章ではグラフィック作品による髑髏まつりを展開したかと思うと、第3章ではポスターに登場する髑髏たちが日常と非日常を往来します。絵画のファインアートとグラフィックのコマーシャルとHIGH&LOWの関係をここでは無化してしまいます。キュレイター平林の今日における美術とグラフィックの関係をここで破壊したがっているのかもしれませんね。以上で、平林の本展のキュレイションの意図は多少読めはなく「非」でなくてはならない。「非」とは、頭脳的ではなく、肉体的であるということです。平林さんは、僕の作品は生命力に満ち溢れていて、常に「死」の影が漂うと見てくれています。生が溢れた結果、死の影か。なるほど。生と死は相対的なもので、二律背反する概念ではありません。骸骨や首吊りのロープのような暗示的な記号から、空襲で赤く染まった空、亡くなった同級生の写真など、自身の記憶に由来するモチーフまで、横尾作品に散りばめられた様々な死のメタファーは、鮮やかに力強く、鑑賞者を挑発すると語ってくれています。『復活!横尾忠則の髑髏まつり』と題した展覧会が、9月13日から横尾忠則現代美術館で開催されます。何が「復活」かと思われる方に、今回のキュレイターの平林恵さんは、「2020年、コロナ禍により開催直前で中止となった本展を再構築して新たな祝祭としてお届けします」と語る。平林さんがキュレイションする展覧会はいつも面白い。美術の文脈をいつも見事に逸脱してくれる。ということは反芸術か、と勘ぐりたくなるが、そんな「反」のつくアバンギャルド展ではない。「反」ではなく「非芸術」的に仕立ててくれる。芸術が芸術であるためには、「反」でTadanori Yokoo美術家横尾 忠則撮影:横浪 修神戸で始まって 神戸で終る 実に明るく陽気な「死」の展覧会『復活!横尾忠則の髑髏まつり』~横尾忠則現代美術館~16

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