KOBECCO(月刊神戸っ子)2025年10月号
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(1704)の間とされている。時代は江戸から明治へと移り、全長約27mの船体の約3分の1にあたる居室部分は飾磨港(姫路市)付近に置かれたのち、高砂市の私邸内で茶室として使われ、御座船の面影を留めるものではなかった。美しきかな ひょうごの文化財船ふな屋や形かた第十回漆塗りに金箔を施し豪華絢爛、姫路藩主の遊覧船昭和16年(1941)、神戸市垂水区の私邸内へと移築、復元修理が行われ、昭和28年に国の重要文化財に指定されている。所有者から寄贈を受けた神戸市が昭和55年、相楽園内に移築し、現在に至る。切妻造桧皮葺の木造2階建、1階、2階ともに3室に分かれ、1階部分は茶室として使われた時期に船体と屋形部分を分ける船框(ふながまち)から下の部分がかさ上げされている。2階前方部分は船頭が座り安全を見守る「床几の間」、中央は藩主が客人を迎える「上段の間」、後方の家臣たちが控える「次の間」へと続く。内外すべてに施された漆塗りの塗装は、木肌が見える春慶塗と重厚な黒漆塗が使い分けられている。長押や垂木の先端などに金箔を施した錺金具を打つ華麗で繊細な造りで、藩主が変錺金具の家紋。藩主が変わる度に打ち替えられた痕跡が残る木部はすべて漆塗り。春慶塗と黒漆塗が使い分けられている江戸時代、西国大名は豪華絢爛を競って御座船を造った。現存する3例の中で、「船屋形」は姫路藩主が河川の遊覧用に使用した唯一の川御座船。錺金具(かざりかなぐ)の家紋の痕跡から推測し、建造時期は本多忠国が入封した天和2年(1682)から宝永元年14

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