ダッハウ強制収容所~ホロコーストの跡を訪ねて愛の手運動は親に育てられない子どもたちに、里親・養親を求める運動です。募金箱の設置にご協力いただける方は協会にご連絡ください。公益社団法人 家庭養護促進協会 神戸事務所神戸市中央区橘通3-4-1 神戸市総合福祉センター2FTEL.078-341-5046 https://ainote-kobe.orgE-MAIL:ainote@kjd.biglobe.ne.jpドイツの都市、ミュンヘンの近くにダッハウ強制収容所跡があるというので訪れました。ミュンヘン駅からダッハウ駅まで電車で20分、そこからバスで10分ぐらいで着きました。この収容所は1933年3月に開設され、1945年4月29日にアメリカ軍によって解放されるまで、最初は政治犯、続いてユダヤ人が収容され、その数は35000人に上りました。この収容所はナチスドイツが建設した収容所の中では最も古く、後の強制収容所のモデルともなったと言われています。今は悲惨な歴史や実態を知るための記念館として見学者が多く訪れています。私は訪問した中でガス室や遺体を焼却した焼却炉、人体実験をした写真のおおきなパネル、収容棟、排泄物があふれていたと言われるトイレなど見て回りましたが、それぞれが今でも強く印象に残っています。人間が人間に対してこんなことまでできるのかという、恐ろしさでした。このときに感じたのは、この収容所でユダヤ人に対して残虐非道なことをやっていた人たちというのは、戦争がなければ普通の家庭では良き父親であり、良き母親であったであろうごく一般の人たちである、と言うことでした。彼らが生まれつきの残虐非道な特別な人間ではないということです。ということは、私も特殊な状態下に置かれれば同じようなとんでもない非道なことをやってしまうかもしれない人間であるということなのです。ここを訪れてもう一つ感じたことは、ドイツの人たちが、自分達が犯した加害者としての過ちを認めて、その過ちの痕跡を消して、なかったことにせず、記念館としてきちんと保存し、誰にでも公開しているということです。私たちは被害者としての声は大きく訴えるけれども、加害者として何をしたのか、という加害責任はうやむやにしてしまいがちなのです。記念館の外に出ると、鉄線で作られたオブジェがありました。それはもがき苦しむ何人もの収容者たちの姿を絡まる鉄線で表現したものでした。出会いと学びの旅から公益社団法人家庭養護促進協会事務局長橋本 明Vol.2199
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