KOBECCO(月刊神戸っ子)2025年9月号
78/136

戦後80年、日々、当然のように平和に暮らす我々にとって、戦争は遠い存在になりつつある。この度、本誌で連載を担当するフリーライターの戸津井康之氏が、特攻という絶望的な使命から奇跡的に生還を果たした方々の戦争体験をまとめた著書『生還特攻 4人はなぜ逃げなかったのか』が7月16日に発行となった。冒頭で、「特攻」という言葉についてふれている。「『特攻』という言葉を現代の日本人で知らない者はいないだろう。だが、実は、その言葉には決まった定義がなく、説明もあいまいでその概念は定かではない、ということを知る日本人は少ないのではないか」と。本書は、大空に憧れ、空を飛ぶことを夢見た飛行機好きの少年3人と法律家を志した少年1人の4人が、絶望的な戦争から生還を果たし、日本の将来を思い、尽力した姿が描かれている。戸津井氏は4人に直接取材を行い、激戦の様子や特攻の実情について克明に伝えている。「ゼロ戦」操縦士の野口剛氏は、上官から「部隊では友人はできるだけつくるな」と言われる。最初の戦闘では無事に帰還を果たすが、夕食時の食堂で一番仲が良かった同期の姿はなかった…。「零式水偵」搭乗員・加藤曻氏は、「“後を頼む”と言葉を残し離陸していった海軍第13期予備学生の同期生たちの言葉が忘れられない」と語っている。1944年8月20日、北九州上空において、野辺重夫軍曹と高木伝蔵兵長が搭乗する戦闘機「屠龍」による初めてのB-29への特攻=体当たりが敢行された。屠龍は圧倒的な飛行能力をもちながら機関砲は戦車の大砲を搭載し、1分間に3発しか発射できないため、B-29との迎撃戦では苦戦を強いられた。そのため、屠龍は体当たりでB-29の攻撃を防いだのだ。自己犠牲の上に最後に己に成せることを―それが特攻だったのだろうか。祖父母や母親が北九州市に地縁のある戸津井氏は、「自分が生きていることは決して偶然ではない。この思いを書き記すことを、自分の使命のひとつとして生きてきたことを、特攻に命を懸けた、青春を特攻に捧げた英霊たち、ひとりひとりに何としてでも伝えたかった」と本書を刊行した理由を述べている。本書の発行時に、取材を行った4人のうち3人は既にこの世を去っていた。その一人、加藤氏は家族にもほとんど戦争の話をしたことがなかったが、80歳を超えたころから、少しずつ戦争について話すようになった。「家族を、友人を、この国を…。命を懸けて護ろうと戦った彼らの献身の思いを伝えるのが、今、生きている私の使命なのだと思うのです」とも語っている。本書は彼らの魂を伝えるとともに、特攻とは何だったのかを深く考えさせられる一冊となっている。『生還特攻4人はなぜ逃げなかったのか』著・戸津井康之光文社新書定価 1,040円+税『生還特攻 4人はなぜ逃げなかったのか 』神戸っ子この1冊78

元のページ  ../index.html#78

このブックを見る