KOBECCO(月刊神戸っ子)2025年9月号
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と言ったが?大友監督は深くうなずきながら噛みしめるように語った。「もちろんそれを目指して撮りました」。この言葉通り、渾身の映像が〝オキナワ〟の戦後史を力強く活写する。1970年12月20日未明。沖縄県コザ市(現在の沖縄市)で起きた「コザ暴動」を再現したシーンは圧巻だ。その年の9月、糸満の路上で米兵が運転する車が日本人の主婦を轢死させる事故が発生。米兵の飲酒運転だったが、12月7日、軍法会議で米兵は証拠不十分で無罪となる。飲酒にスピード違反という悪質な〝犯行〟が無罪放免。これを機に12月20日、沖縄市民の怒りが爆発する。数千人の取材した際に語った言葉が強く印象に残った。「一緒に日本の『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・チャイナ』(計6作で完結する中国のアクション大作)を撮らないか、と大友監督に言われ、即答で快諾しました」今作を真藤は「ワンス・アポン・ナ・タイム・イン・オキナワ」だオン(中央=永山瑛太)はどこへ消えたのか?沖縄ロケの臨場感が画面からあふれだす市民が集まり、米軍関係車両を次々と襲撃し火を放つ。コザの街は火の海と化す…。刑事となったグスクはこの現場で立ちすくむ。日本の法律が通じず、野放しの米兵に対し、刑事でありながら何もできない怒りが、その表情からあふれ出る。真っ黒に日焼けし、無精ひげで荒くれたグスクを演じる妻夫木の怒りを放つ眼は鬼気迫り、〝演技で見せる〟という次元を遥かに超えていた。「戦後ずっと沖縄県民が我慢し抑え込んでいた怒りを映像にしたかった。声なき声を映像にしなければならない…」。それが映画監督としての使命、責務だと撮影中、大友監督は自らを追い込んでいく。間近で接していた妻夫木は監督の思いを痛いほど理解していた。「第二次世界大戦で戦場となった沖縄は、県民の4人に1人が命を落としています。今も在日米軍基地の7割が沖縄に集中する。それでも沖縄県民は我慢強くいつも優しい。だからこそ、この怒りを少しでも今29

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