20世紀建築界の巨匠の一人、フランク・ロイド・ライトは大正6年(1917)、帝国ホテル支配人・林愛作から同ホテル新館の設計を依頼され来日した。建設事業は愛弟子の遠藤新へと引き継がれ、ライト帰国後に完成している。帝国ホテルを辞した林は阪神電鉄の依頼で、遠藤と共に「理想のホテル」建設に取り掛かった。当初の予定地は甲子園浜だったが、林の意向で武庫川沿いの松林に決まり、幾つか細部の設計変更をしながら13カ月という異例の速さで昭和5年(1930)竣工、「甲子園ホテル」が開業した。当時の阪神間モダニズムを謳歌する人々が集い、寛ぎ、楽しむ姿は想像に難くない。しかし、昭和19年(1944)、海軍病院に転用され14年で営業を終了。戦後は米軍将校宿舎に転用、米軍引き揚げ後は当時の大蔵省管轄下に置かれた。数奇な運命を辿り荒廃したライト式建築物は昭和40年(1965)、国から譲り受けた武庫川学院による修復工事で蘇り、「武庫川女子大学甲子園会館」(以下、甲子園会館)として現在に至っている。17
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