の最初。「夫婦の朝」という30ページ足らずの時代小説。これがしみじみといい。ハラハラさせられるが最後は読者が望むような終わり方になっていて安堵する。わたしは本を読んでいていい場面があると、妻に読み語ってやるのが常だ。妻には迷惑かも知れないが、一人で胸に納めておけないのだ。妻は字が読めないわけではない。しかしいつも忙しく立ち働いていて、読書の余裕がない。なので、わたしが読み語ってやる。わたしは「読み聞かせ」という言葉が、なんだか上から目線の気がして好まない。といいながら妻には半ば強制的に聞かせているのだが。で、今回の「夫婦の朝」。これは語ってやらないわけには行かない。妻は立ち働く合間に小休止をしていた。それで「読むよ」と言って読み始めた。全編読んでやるつもりだ。途中であまりにも静かになったので「寝てる?」というと、「聞いてる」と答える。読み続ける。終りに近づくと、妻は「泣けるねえ」と。わたしも最後の場面ではウルウルしてしまった。先に黙読していた時よりも感情が極まってしまったのだ。その最後の場面。《「お由美、…おまえは三右衛門の妻だ、おまえは三右衛門をもっと信じなくてはいけないぞ、歓びも悲しみも、互いに分け合うのが夫婦というものだ、こんな…詰まらぬことで、二人のあいだにもし不吉なことでも出来たらどうする」(略)「さあ、泪を拭いて庭へおいで、よく晴れている、お城の天守が霜で銀のように光っているぞ」》昭和16年の作である。わたしが生まれる二年前だ。(実寸タテ15㎝ × ヨコ9㎝)■今村欣史(いまむら・きんじ)一九四三年兵庫県生まれ。兵庫県現代詩協会会員。「半どんの会」会員。著書に『触媒のうた』―宮崎修二朗翁の文学史秘話―(神戸新聞総合出版センター)、『コーヒーカップの耳』(編集工房ノア)、『完本 コーヒーカップの耳』(朝日新聞出版)、随筆集『湯気の向こうから』(私家版)ほか。■六車明峰(むぐるま・めいほう)一九五五年香川県生まれ。名筆研究会・代表者。「半どんの会」会員。こうべ芸文会員。神戸新聞明石文化教室講師。109
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