KOBECCO(月刊神戸っ子)2025年8月号
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ベテルの町の忘れられない人たち愛の手運動は親に育てられない子どもたちに、里親・養親を求める運動です。募金箱の設置にご協力いただける方は協会にご連絡ください。公益社団法人 家庭養護促進協会 神戸事務所神戸市中央区橘通3-4-1 神戸市総合福祉センター2FTEL.078-341-5046 https://ainote-kobe.orgE-MAIL:ainote@kjd.biglobe.ne.jpマハナイムで働いて3ヶ月たち、私がベテルを離れる前の日に「明日、私はここを離れて家に帰ることになったよ」というと、入所している人たちが私の周りに集まり、「家に帰るんだって」「残念だなあ」といって涙ぐむ人もいました。3ヶ月間一緒に寝起きしながらほとんどの時間と空間をともに過ごしていましたので、彼らと私の間には国籍や障がいの有無、ボランティアと介護を受ける人、という立場を超えた一体感のようなものがありました。この施設での経験から知的障がいと言われる人たちの純粋さや人間性の素晴らしさ、情感の豊かさ等を学び、それ以降私は「障害者」の表記を使わず「障がい者」と害の代わりに「がい」とひらがなを使うようにしました。なぜ彼らが「差し障りがあり、害のある人たち」として“障害者”と表現されなければならないのか、という疑問と抵抗の意思表示でもあります。私がベテルを訪問してから半世紀あまりになります。私がともに一時期過ごしたパチェンテンと呼ばれた人たちはもうこの世にはおられないでしょう。若い頃から家族と離れてこの町の施設に移り、狭い空間に閉じ込められて生涯を終えていった人たちのことを時々考えます。彼らにはどんな喜びや楽しみがあったのか、何か夢を持っていたのだろうか、家族のことをどう思っていたのだろうか、幸せな人生だったのか、今度生まれるとしたら、どんな風に生きたいのか・・・。この施設にいた3ヶ月の間に私はいちどだけ入所者の母親が息子の面会に訪れたときの姿を見たことがあります。白髪の高齢の母親が40代ぐらいの息子の面会に来て一緒に外出し、夕方施設に帰ってきました。その母親のやつれた姿と息子を施設に置いて自分だけ家に帰らざるを得ない心情を思うとき、同じような立場の日本の障がい児を持つ親のことを思い浮かべました。国籍や民族が違っても障がいのある子どもをもつ親の苦労や悩みは同じだと。ベテルの町は福祉について、人間について、さまざまなことを教えてくれました。出会いと学びの旅から公益社団法人家庭養護促進協会事務局長橋本 明Vol.2085

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