伊藤傳三氏は伊藤理事長にとって、また創業者としてどんな方だったのでしょうか。「とても優しい祖父」というのが私の幼いころの記憶にある伊藤傳三です。会社での言動は伝え聞くことでしか知りえないのですが、とても厳しくて怖い人だったようです。興味のあることを追いかけて大阪、東京、神戸と転々としながら丁稚奉公をして家の借金を返したそうです。最終的に独学でハム・ソーセージを研究し、その後、売れ行きが悪くて苦労した時期もあったようですが研究を重ね、それまでになかった技術や手法を開発して美味しいハム・ソーセージの製法を確立させました。丁稚奉公時代から「日本は地震で建物が崩れる」という考えが前提にあり、いろいろな工事現場をのぞきに行き、自分なりの知見を持って自社の工場を頑丈に建設してきました。そのお陰で西宮工場は阪神・淡路大震災でも何とか持ち堪えることができたのですから、先見の明があったのでしょうね。好奇心旺盛で集中力があり、その一方で繊細な心を持った人だったのかなと思っています。伊藤傳三記念館のある神戸市灘区備後町は伊藤ハムの原点なのですね。創業者はこの地でセロハンの切れ端を集めて「セロハンウインナー」を考案し、この場所で製造・販売を始めました。創業90周年を迎え、創業者の理念を形に表したいという社内の意見を受け、この場所にマンション建設が決まったのを機に1階の一部分をお借りして開設しました。限られたスペースですので、伊藤傳三の生涯と伊藤ハムの企業としてのあゆみ、ハム・ソーセージのこと、伊藤文化財団のことなどを、映像を駆使してご紹介しています。創業以来ずっと掲げておられた理念「事業を通じて社会に奉仕する」とは?戦後の貧しい時代から経済成長を遂げて豊かになっていく日本と共に生き、実感してきた人です。経済的・物質的に豊かになった後、どんなふうに人間は進んでいくべきかを考えたとき、心の豊かさに行き着いたのだと思います。家があり、ちゃんと洋服を着て、食べるものがある。こうして衣伊藤ハムを創業した伊藤傳三灘区備後町にあった頃の伊藤ハム本社31
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