KOBECCO(月刊神戸っ子)2025年8月号
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せました。国吉の《幸福の島》(1924年、東京都現代美術館)では、芽吹く枝や貝殻などを象徴的に描き、生命の芽生えを感じさせる構図となっています。1925年と28年に2度パリに滞在した国吉は、現地の画家たちが実際のモデルを前に絵を描くことを参考とし、存在感のある女性像を描くようになりました。国吉の描く女性像は、その後、ユニバーサル・ウーマン(普遍的な女性像)として、時代の空気を身にまとうようになります。パリで二人の直接的な交流を示す資料は見つかっていませんが、共通の友人たちがいました。その後、1930年にニューヨークに滞在した藤田と国吉の交流の記録として、発見された色紙や資料を展覧会でご紹介しています。太平洋戦争勃発後、日本に暮らす藤田とアメリカの国吉はその立場を隔てることとなります。戦後の1949年に藤田はニューヨークに約10か月間滞在しますが、その間に二人の再会は叶うことはありませんでした。日系人画家として海外で活躍した二人の作品をたどると、20世紀前半の激動の時代が見えてくるでしょう。(学芸員・橋本こずえ)■神戸市中央区脇浜海岸通1-1-1■TEL.078-262-1011■休館日:月曜(祝日・振休の場合は翌平日)■開館時間:10:00-18:00(展示室への入室は17:30まで)兵庫県立美術館HYOGOPREFECTURALMUSEUMOFART国吉康雄《誰かが私のポスターを破った》1943年 個人蔵会場風景 左から藤田嗣治《眠れる女》1931年 公益財団法人平野政吉美術財団、《横たわる裸婦と猫》1931年 埼玉県立近代美術館、国吉康雄《休んでいるサーカスの女》1931年 福武コレクション、《サーカスの女玉乗り》1930年 個人蔵藤田嗣治×国吉康雄:二人のパラレル・キャリア—百年目の再会兵庫県立美術館 特別展示室 8月17日(日)まで15

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