KOBECCO(月刊神戸っ子)2025年8月号
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憧れの神戸生涯5000曲以上もの作詞を手掛けた阿久悠は小説家の顔も持っていた。昭和の歌謡史に、その名を刻む稀代のヒットメーカーは小説家としても、また、歌と同じように〝日本人の心〟を言葉で鼓舞し続けた。売れっ子作詞家となった阿久は1979年刊行の「瀬戸内少年野球団」をはじめ、1982年には長編推理小説「殺人狂時代ユリエ」で横溝正史ミステリ大賞を受賞するなど作家としても活躍する。「瀬戸内少年野球団」は直木賞候補となり、映画化やドラマ化もされた。生まれ故郷・淡路島を舞台に、野球少年だった阿久の人生を辿った自伝的小説で、映画では、島の学校の先生役を夏目雅子が演じ話題を集めた。同作は女優、夏目の遺作となり、共演した渡辺謙にとっての映画デビュー作だった。1990年に講談社から刊行された「飢餓旅行」のなかにも淡路島時代の阿久の少年時代が色濃く投影されている。終戦直後の1946年。淡路島で暮らす恩田幸吉の一家が、故郷の宮崎県へ帰省する家族旅行の物語。幸吉が戦死した長男の遺骨を、故郷のお寺へ納めるための家族旅行だった。阿久の両親は宮崎県出身で、父は警察官として淡路島で勤務していた。阿久の一回り年上の兄は19歳で戦死している。小説の一家は幸吉夫婦と次男、三男と末っ娘の5人家族。物語の主人公、9歳の三男、圭太が阿久の〝分身〟となって五日間の家族旅行を振り返る…。《瀬戸内海は北西の風を受けて大時しけ化であったが、東海岸が面している大阪湾は、波一つない静かな海であった。風もなく、全くの温暖で、これなら、何かいいことが始まりそうな予感さえ抱かせた》一家はまず、淡路島から神戸へ船で向かう。家族旅行は阿久少年にとって「何かいいことが始まりそう…」な希望に満ちた未知の冒険だったに違いない。《神戸行きの定期船は、堂々たる客船を思わせた。西海岸の、如何にも連絡船という感じの小さな船と違い、太い煙突が誇らしげにそびえ立ち、二本柱であった》この一文を読んで、鋭い読者の方たちは、阿久が作詞した〝あの曲〟の歌詞を思い浮かべるのではないか。そう、前編で紹介した阪神・淡路大震災の被災者を元気付けるために、作曲を手掛けた平松愛理とともにつくった曲「美し都~がんばろやWe love KOBE~」を。《♪ あそこで逢ったら 希望という名の船に乗る》神戸偉人伝外伝 ~知られざる偉業~後編阿久悠故郷を見つめ続け…何度も立ち上がる被災者たちへのエール118

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