KOBECCO(月刊神戸っ子)2025年7月号
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を交え、詳細に描かれている。「僕が生まれる前の事件ですから、詳しくは知らなかったのですが、本や資料などで調べました」高橋監督からは、特に役作りについての具体的な指導などはなかったという。全幅の信頼を得ての桐島役への抜擢だった。だが、役作りは難航した。桐島については、関係者たちが彼について語った話などはあるが、本人が書き残したり、語った話はなく、手探りでその人物像を辿っていったという。「脚本通りにただセリフを言えばいい。そんな演技はしたくない。自分のなかで桐島像を考え、作り込んだうえで撮影に臨みました」“凶悪犯”と並び指名手配を受け、約半世紀の間、逃亡していたが、その実像を知る者はいないのだ。「なぜ、彼は逃亡し続けたのか?なぜ、自首しなかったのか?そして、なぜ、死ぬ間際になって『桐島です』と名乗ったのか」さらに毎熊は考えをめぐらせていく。「正義感の強い一人の青年が労働問題に目覚め、事件に巻き込まれ、普通の生活には戻れないところまで追い込まれていった…」20代の青年期から70代の晩年までの桐島の人格が、まるで乗り移ったかのような鬼気迫る臨場感で毎熊が演じ切る。大阪アジアン映画祭のホールを埋めた満員の観客が、息をのんでスクリーンに見入る姿が強く印象に残った。誰も知らないはずの桐島の真の人間像の一端が、スクリーンから目の前に浮かび上がってくるような迫力ある毎熊の演技に惹き込まれていくのが分かった。■新たな代表作に 今から10年前の2015年、主演映画『ケンとカズ』が東京国際映画祭で上映され、絶賛された。「このとき小路(紘史)監督も僕も共演者のカトウシンスケさんも、まだ全員無名でした」と毎熊は語るが、フィルムから作り手のエネルギーがほとばしるようなノワール作品は映画関係者や映画ファンの間で評判となり、ロングランヒット。映画賞レースを席捲し、毎熊たちの名は一躍、映画界に知れ渡った。ところが、こんな驚くべき秘話を語り始めた。「最初の編集で完成した作品を見たとき、正直これはだめだ」と痛感したという。「映画の道をあきらめて、もう故郷の広島へ帰らにゃあ…と覚悟したんです」と広島弁で苦笑しながら打ち明けた。小路監督は映画の専門学校の同級生。20代の桐島聡(左)を熱演する毎熊克哉64

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