KOBECCO(月刊神戸っ子)2025年7月号
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生涯女優1942年、東京で生まれた。1958年、NHKのドラマ『バス通り裏』で15歳で女優デビューするや頭角を現し、翌年、木下惠介監督の『惜春鳥』で映画女優デビュー。野村芳太郎監督の『震える舌』(1980年)、伊藤俊也監督の『花いちもんめ』(1985年)、山下耕作監督の『夜汽車』(1987年)など、映画界の名匠たちの傑作に次々と出演。日本アカデミー賞主演女優賞など賞レース常連として、唯一無二のヒロイン像を演じてきた。昭和の映画史を紐解く名優たちとの共演秘話も惜しげなく語ってくれた。映画『殺人者を消せ』(1964年)での石原裕次郎との初共演が決まったときのキャスティングの秘話はこうだ。「女優の北原三枝(石原まき子)さんが石原裕次郎さんと結婚し引退したため、裕次郎さんの相手役を探していた言う。女優業から遠ざかっていたコロナ禍の数年間、どう過ごしていたのか。「トレーニングのジムに通っていました」と言うので、「週に何回ぐらい?」と問うと、「週6回です」と事も無げに答えた。14年前、舞台公演後に両足首を大手術した経験を持つがリハビリで克服。「激しい運動はできないですが、日常生活は何の支障もありません」と語り、杖に頼ることもなく元気に歩く姿を見ていて、日頃の鍛錬が想像できる。いつでも女優として第一線に立つ準備はできていたのだ。舞台に上がる決意を固めた理由は、「お雪を演じたい」という思いを抑えきれなかったこと以外にも、まだある。「女優という仕事を続けることで同年代の人たちを勇気づけたり、元気づけることができたら。今、私が、元気にその姿を見せることは責務のようにも感じています」本番では十朱さんの演技と宮川さんのピアノ演奏による二人だけの〝競演〟なんです」と笹部は説明する。女優として70年近くにわたり、さまざまな役を演じてきた十朱にとって、なぜ、今、選んだ役が、お雪だったのか。「恋の相手は、鬼より怖いと恐れられた新選組の土方歳三。そんな過激な人生を生きた土方の心を癒す唯一の存在。それが、お雪なのです」。お雪への熱い思いを語る言葉はあふれ出るように続いた。「慎ましく、優しく、激しく、切なく燃え上がった恋…。もう一度、あの恋を生きたい。もう一度、お雪に会いたい」と。自分とは違う女性の人生を生きること。それが女優…。十朱が「女優という仕事と結婚した」と語ってきた覚悟を目の当たりにした気がした。「お雪のなかには、私が生きられなかった人生があるように思えるのです」人気女優として華やかで濃密な人生を歩んできた十朱が23

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