1972年、和田アキ子が日本レコード大賞に輝いた「あの鐘を鳴らすのはあなた」(森田公一作曲)も阪神・淡路大震災の被災者を励ますイベントなどでたびたび歌われている曲だ。《♪ 町は今 砂漠の中 あの鐘を鳴らすのは あなた》絶望の淵で、この曲はどれだけ多くの被災者たちの心を鼓舞しただろうか。18年前の2007年、阿久は70歳で亡くなった。それから3年後の2010年3月。淡路島の「ウェルネスパーク五色・高田屋嘉兵衛公園」に阿久を顕彰するモニュメント「愛と希望の鐘」が建立された。除幕式には和田アキ子と森田公一も参加した。阿久の両親は宮崎県出身で、彼のお墓は東京に建つ。生前、彼は「生まれ故郷・淡路島にはお墓がない」と寂しがっていたという。だが、淡路島の海風が吹く丘の上に建つモニュメントには、今も多くの人が訪れ、〝希望の鐘〟を打ち鳴らし続けている。=続く。 (戸津井康之)亡くなるまで詞や文章のなかに込め続けた。故郷の被災者たちを励まし、元気付けようと送ったエールは、今でも数多くの歌や小説などのなかで生き続けている。1995年1月17日午前5時46分、阪神・淡路大震災が発生した。マグニチュード7・3の震源地は、阿久の生まれ故郷・淡路島の北部約15キロの沖合いだった。震災後。「曲を書いてみないか、と声をかけられました」。曲の売り上げがすべて被災者たちへ寄付されると聞き「ぜひ、やらせてください」と返答すると、「クセのある文字で書かれた詞がFAXで送られてきました」こう話すのは、神戸市須磨区出身のシンガー・ソングライター、平松愛理だ。阿久の実家近くが震源地。平松の神戸の実家は全壊。「壊滅状態にある故郷のために」と、二人は3月、新曲「美し都~がんばろやWe love KOBE~」を発表した。《♪ あそこで逢ったら 希望という名の船に乗る》被災しても港街・神戸には夢や希望があふれている…。幼いころ、船に乗って淡路島から華やかな街、神戸へ渡った阿久少年が抱いたかつての心躍る思いがここに込めれている。希望という名の船に乗って、もう一度、大海原へ漕ぎだそう…。こう被災者を鼓舞する彼は淡路島や神戸の港から大海を眺め、幼少期や青春時代を過ごしたのだ。曲の2番の歌詞にはこうある。《♪見知らぬ旅人も 笑顔に酔わされ青春を賛歌する 美し都で》美し都…。阿久の郷愁は、東京で売れっ子作詞家となっても不変だった。この曲には、阿久と平松が関わってきた多くの友人、知人たちも関わっている。サビのコーラスには島倉千代子や岡村孝子、本誌で連載中の大江千里など、世代を超えたミュージシャンが集結。豪華なバック・コーラスで歌を盛り上げている。《♪ 虹よ かかれよ 風よ そよ吹け》阿久の歌にはいつも、人々に希望を与えようという願いが込められていた。119
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