万葉歌人の代表格、柿本人麻呂ゆかりの明石で、52年にわたり歴史や文化を学び続けている会がある。それは、 玉藻刈る敏馬を過ぎて 夏草の野島が﨑に 舟近づきぬという人麻呂の歌にちなんだ玉藻会だ。 会の発足は昭和48年。明石の歴史や文化について知りたいとんのもと歴史を学ぶ会としての存在感を高めていった。会場も松本ヤスさんの書道教室や明石市立市民会館会議室などを経て、現在は明石城を望むウィズあかしを拠点にしている。会員は代替わりしつつ一時期約140名を数えたがその後は減少、そこで5年ほど前からは男性も参加可能となり、以前の活気を取り戻しつつある。歴史と文化を学び続けて半世紀明石で活動する玉藻会ひょうご神戸まちかど学だよりいう女性たちが集まり、その一人、胤たねもり森幸子さんの父で国文学研究者の芦田邦一先生を講師として、明石市立図書館で万葉集について学びはじめた。芦田先生は『萬葉人の自然観』の著者で、県立明石高校の校長や明石市立天文科学館の初代館長などを歴任している。 それから1年ほど経った後、万葉集の時代背景を知りたいという声があがる。その頃、胤森さんの夫が芦屋高校に勤務していて、その同僚だった田辺眞人先生に依頼。以降、今日に至るまで兵庫・神戸のヒストリアンこと田辺先生が講師を務めている。創立10年の時は記念に香港旅行へ出かけるなど、会の活動も活発に。 芦田先生亡き後は、これまた明石とゆかりの深い源氏物語についても見識を深めつつ、30年間会長を務めた油井よし子さ50年以上玉藻会で講師を務める田辺眞人先生熱心にレクチャーを聴く玉藻会のみなさん92
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