のキャリアを小学生のころから着々と磨き上げていたのだ。父の生誕100年の節目米朝生誕100年の今年2025年、これを祝う数々の記念イベントが予定されている。今年1月には、米朝一門とゆかりの深い住吉大社(大阪市住吉区)の境内に米朝生誕100年と没後10年を記念し、その功績を称える記念碑が建立された。今月21日には、ドラマとドキュメンタリーで構成されたNHKの特別番組「桂米朝 なにわ落語青春噺(ばなし)」が放送される。このドラマでは、米朝の孫弟子、桂吉弥が若き日の米朝(中川清)を演じ、米團治は、父の師匠である四代目米團治を演じた。「父は、こんなに太っていませんでしたが」と笑いながらも、「本番で演じている姿を見ていて、だんだん父に見えてきました」と共演した吉弥かったのだろうか?そう問うと、今度はこんな秘話を教えてくれた。「小学2年生のときでした。担任の女性の先生にこう言われたんです。『中川君に今度、教室で落語を披露してもらいましょう』と」家に帰って話すと、父の弟子たちが喜んで落語を指導してくれた。「一生懸命、私に落語を教えてくれて。父はこの話を?知らなかったと思いますよ」教壇の上に座布団を敷いて、小学2年生のときに同級生の前で〝高座デビュー〟を果たしていた。落語家となる大きなきっかけを作ってくれた、その担任の先生は90歳近くなったが、「先日も東京の独演会へ駆けつけてくれました。〝あの時は下手やったねぇ〟と言われました」とうれしそうに話す。高校3年のとき、父から「噺家には向いていない」と烙印を押された息子は、実は父の落語を受け継ぐ弟子たちから直に教えを受け、落語家として言うてたやろう」と自分を呼ぶ大きな声が聞こえてきた。父の弟子、二代目桂枝雀だった。「困ったなと思ったのですが、枝雀さんはしつこく何度も私の名前を呼ぶんです」覚悟を決めて、その場へ行くと、枝雀や朝丸(後のざこば)など父の弟子たちが、代わる代わる師匠を説得してくれた。「すると父はこう言ったのです。『ひとつ(一席)だけ教えます』と。その表情は苦虫をかみつぶしたようでした」と振り返る。さらに、その直後。「枝雀さんが米朝の言葉じりをとって、『ほんなら名前を決めまひょ』と。そう言いながら私の名前について、みんなで話し合いが始まったんです」約2時間半後。ようやく名前が決まった。落語家、桂小米朝が誕生した瞬間だった。ところで、米朝の長男として生まれ、大学生まで落語家としての修業は積んでいな23
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