働く作業員をそのまま凍結させることはできないか」と、興奮状態になって、各せんい業界の役員の集まる場でとんでもない構想を提案したのです。その結果、誰ひとりとして賛成しませんでした。全員一致の反対です。建物を取り囲んだ足場は、建物の完成と同時に解体されるものです。そんなことはわかっていますが、もし、この進歩と調和をスローガンにした万博の会場の中に、この巨大建築が未完のまま凍結された場合、完全に万博の進歩と調和は破壊されます。僕はそのことによって「未完」を提案したかったのですが、僕の考えは完全に頭ごなしに否キャンダラスな側面だけが話題になっただけで、正当に論じようとする人はひとりも現れませんでした。では、なぜ一部で話題になったかといいますと、巨額をかけて建造したにもかかわらず、建物の中心部には建築中の足場を凍結したまま、つまり未完のまま建物を強引に完成させたからです。これはどういうことかというと、建設途上の現場に立ち合った僕は、思わず声をあげて、「この建設途上のまま、つまり足場を組んだ状態のまま、できれば作業員もストップモーションのまま固定できないか。建造物を取り囲んだ足場と、そこで1970年の大阪万博『せんい館』を見ていただいた方もおられるかと思いますが、あれからすでに55年の歳月が経っているので、すでに記憶の彼方に消えつつあるのではないかと思います。なぜ僕が『せんい館』の話をしようとしているかというと、あの巨大パビリオンをデザインしたのが僕であると同時に、僕はあの自作の建造物から、決定的な創造の秘密と刺激を受けたからです。そんな話を、この欄で語ってくれないかと編集部から依頼されたのです。あの『せんい館』は当時、ある意味でセンセーショナルな話題を提供しましたが、そんなスTadanori Yokoo美術家横尾 忠則撮影:横浪 修神戸で始まって 神戸で終る 1970年、“未完”から得た創作の基本理念16
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