宿命の肖像画《小磯良平君とは大正六年に中学校へ入学して机をならべたときからの交遊で、数えると六十年にちかい長い間である》これは1976年に、詩人、竹中郁が「アサヒグラフ別冊 美術特集 小磯良平」(朝日新聞社発行)に寄せた一文である。ここに綴られている通り、ともに神戸で生まれて育った小磯と竹中は兵庫県立第二神戸中学校(現在の県立兵庫高校)で同じ教室で文字通り“机を並べて学んだ”同級生だった。さらに続けた竹中が明かす二人の性格描写が興味深い。《私はせっかちだが、かれはゆっくり屋。私はとび歩く方だが、かれは籠りがち。私は大声だが、かれはつぶやき声。私は大食だが、かれは小食。私はにぎやかな服装がすきだが、かれは控え目な服装を崩そうとしない。私は酒をたしなまないが、かれはかなり飲める》二人は親友なのに、性格がまったく逆だったことが分かる。それでいて、なぜ二人は生涯、親友だったのか? 竹中はこう分析する。《飽きもせずに顔をあわせて、それでなんとなく面白いのは、お互いの性格がまるで反対なのが巧く嚙み合っていくからであろう》小磯は1927年、24歳のときに東京美術学校西洋画科(現在の東京芸術大学美術学部)を卒業する。卒業制作の肖像画「彼の休息」のモデルは竹中である。赤色と黒色の太い縦のストライプ模様の長袖のラガーシャツに白色の短パン姿。灰色と白色の横のストライプ模様の、ひざ下まである長い靴下を履き、ソファでくつろぐ竹中は自身が語る、その言葉通り、派手で“にぎやかな服装”が似合う青年だったことが分かる。また、少し斜に構えたような表情からは、何か言いたそうで“声が大きく、せっかち”な行動派だったことも伝わってくるようだ。今から約100年前に小磯が描いた、この“竹中青年像”はタイトルにある“休息”することをやめて、今にも動き出しそうで、生き生きと活写されている。この竹中の視線の先にいるのが小磯だ。“ゆっくり屋”で“地味な服装を崩そうとしない”小磯が、モデルの竹中に“つぶやき声”で静かに指示を出しながら絵筆をとっ神戸偉人伝外伝 ~知られざる偉業~後編小磯良平ゆっくり屋で籠りがち…神戸の親友が見た画家の素顔130
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