KOBECCO(月刊神戸っ子2025年5月号)
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 神戸は日本におけるマラソンの発祥の地でもあるが、その日本初のマラソンがおこなわれた3月20日に復元コースを走るイベント、第5回マラソン大競走がおこなわれた。 日本初のマラソン競技は大阪毎日新聞社の主催で1909年の春分の日に開催した。同紙スタート地点を新開地の川池東、現在の兵庫区役所前に変更した。レースは元町や旧居留地を抜け旧浜街道へ、打出で旧西国街道、西宮神社付近で旧中国街道を東へ進み、稗島(現在の姫島)で開削されたばかりの新淀川に出てゴールへと駆け、岡山の在郷軍人、金子長之助が2時間15分54秒のタイムで優勝、賞金300円を手にした。 この史実を兵庫・神戸のヒストリアンこと田辺眞人先生が2021年の湊川隧道公開20年記念講演会で紹介したところ、その話を聴いた兵庫区の国乗豪さんたちが日本初のマラソンコースを走ってみようと有志を募り「兵庫神戸は日本のマラソン発祥地顕彰会」を立ち上日本初のマラソンを復活 第5回マラソン大競走ひょうご神戸まちかど学だより兵庫神戸は日本のマラソン発祥地顕彰会に20名の参加者募集の告知を掲載したところ408名が応募し、書類審査や体格検査、さらに鳴尾競馬場での予選会で選抜され、19名が本選に出場。マラソンの距離は1924年に42.195㎞に規定されるまで大会ごとに適宜設定されており、この大会は20マイル(約32㎞)とされ、神戸の東遊園地から大阪の西成大橋(現在の国道2号淀川大橋の前身)南詰を予定していたが距離不足が判明、兵庫高校生徒会有志のリードで準備運動古泉区長の合図でスタート開会式。左より国乗さん、村上立真顕彰会長、司会の村上唯さん、古泉兵庫区長、河辺マラソン事務局長、来賓の井上真理兵庫高校校長88

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