ところでこの二枚の色紙だが、わたしが直接先生から戴いたものではない。実は前々号に取り上げた書家、村上翔雲師の遺品だったものをご遺族のご好意で頂戴したもの。これには興味深い事情がある。足立先生が書家の翔雲師に「書」を贈るはずはないであろう。ではなぜ翔雲師が所持されていたのか。その秘密。その前に少し寄り道。まだ足立先生がご存命中の1984年秋のことである。三宮サンパルで良心的な小さな出版社「編集工房ノア」を支援するチャリティー展が先生の肝いりで催されたことがあった。そこに先生の色紙が出品されていた。だがわたしは買わなかった。先生にはまたいつか直接に書いてもらえるだろうと思ってしまったのである。ところがその後、そんな機会はなく、亡くなってしまわれた。恥ずかしい話である。話を戻す。なぜ翔雲師が足立先生の書を所持していたのか。足立先生の死後、先生を偲ぶ会「夕暮れ忌」(命名は司馬遼太郎、井上靖の両氏)が二十五回も催されることになるのだが、その最終回に詩人の杉山平一氏が寄せられた言葉の中の一部。《埋もれた文学者の書籍の数々を復刊させると共に、尊敬する先輩竹中郁没後、その遺著を出版するために、神戸周辺の文人画家のチャリティー展を開催して費用を生み出し》ここにご自分の色紙も出品されていたのだろう。それに村上翔雲師が協力されたということ。わたしと違って精神性が高いのだ。翔雲師は入手しても飾ることはしなかった。なので、わたしの手元に来た時にも今書かれたように美しかったのだ。封筒に入ったままで何十年飾られることがなかったのだ。「喫茶・輪」で飾られてやっと人目に触れたというわけである。ところで翔雲師は、この詩の真意を解っておられたのだろうか。■今村欣史(いまむら・きんじ)一九四三年兵庫県生まれ。兵庫県現代詩協会会員。「半どんの会」会員。著書に『触媒のうた』―宮崎修二朗翁の文学史秘話―(神戸新聞総合出版センター)、『コーヒーカップの耳』(編集工房ノア)、『完本 コーヒーカップの耳』(朝日新聞出版)、随筆集『湯気の向こうから』(私家版)ほか。■六車明峰(むぐるま・めいほう)一九五五年香川県生まれ。名筆研究会・編集人。「半どんの会」会員。こうべ芸文会員。神戸新聞明石文化教室講師。(実寸タテ9.5㎝ × ヨコ16㎝)103
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