今村 欣史書 ・ 六車明峰連載エッセイ/喫茶店の書斎から ◯ 足立巻一先生の色紙「どんな意味ですか?」とおっしゃる。「書斎・輪」にご来訪のKさんが、飾ってある足立巻一先生の色紙を指してのこと。足立巻一とは言うまでもなく、詩人・評伝作家として大きな仕事を成した神戸の人。わたしが生涯尊敬する人物だ。横長の額に二枚の色紙を並べて飾っている。鴨の赤い身を 含みながら日本の詩は神名に始まると考えた 巻渇くのだ 火酒のようにではなく渕のように 巻わたしも「渇くのだ」の方の意味はまったく解らない。ただし「鴨の赤い身を」の方は出所が分っている。播磨中央公園にある足立先生の文学碑がこれだ。書斎にはその拓本も飾ってある。 「日本の詩は 神の御名から はじまる」さらに先生の詩集『雑歌』の中にも「神名」という詩がある。湖畔の/〈鳥新〉という古風な宿で/鴨のスキヤキを食っていると/突然/男神と女神とが/白波立つ湖水を渡って来た。それから―/男神と女神とは/尾花の枯れつくした野に分け入り/名を呼びあった。/唱和はかぎりなくつづき/神の名は風に乗る。鴨の赤い身を含みながら/日本の詩は神名に始まる―/と考えた。しかし「渇くのだ」の方は抽象的でわたしには見当がつかない。ご存じの方があればお教えください。Kさんだが、お帰りになる時、足立先生の代表作『やちまた』上下をお貸しした。すると後ほどメールで「あの色紙はここからでは?」と、「賀茂真淵」が出てくるページを示された。「やちまた」は国学者本居宣長の長男、やはり国学者本居春庭が主人公。国学が底流にある評伝小説だ。何人もの国学者が登場するが、その中に「賀茂真淵」がある。これではないかとKさんはおっしゃるのだ。なるほど、「カモ」があり、「フチ」がある。これを足立先生は暗示しておられるのか。二枚の色紙は関連しているのか。でも「渇く」「火酒」との関連が見えない。わたしが浅学だから思いつかないのだろうか。もう少し宿題としておこう。108102
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